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トップ映像調布映画祭映画のまち調布
 
2008年2月6日 更新
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映画のまち調布
映画のまち調布の沿革を紹介します。
 
調布の映画史略年表
調布は、昭和8年に日本映画株式会社が建てた撮影所(現在の角川大映撮影所)を皮切りに、日活撮影所、高津装飾美術、東映ラボ・テック、東京現像所をはじめ多くの映画関連企業が集まりました。昭和30年代には「東洋のハリウッド」と呼ばれ、日本映画の黄金期を支えました。
 
その後、人々の娯楽が様変わりし、映画産業そのものがかつての勢いを失ったといわれる中で、近年はコンピュータグラフィックなどの最新のデジタル技術を持った会社が活躍し、依然として映画づくりに欠かせないまちであり続けています。
昭和7年
京都・東活映画社から派遣された本多嘉一郎氏(のちの調布市長)が撮影所建設候補地として調布を視察。フィルム現像に欠かせない水と空気がきれいで、時代劇のロケ地にも恵まれ、都内近郊で現代劇の撮影もしやすいと判断し、「水澄み、時代劇、現代劇に最適なり」との電報を打つ。
昭和8年 東活映画社が母体となった日本映画株式会社が多摩川撮影所を設立。
昭和9年 日本映画株式会社倒産。多摩川撮影所は日活が買収。
  日活の東京進出と同時に高津小道具店が東京営業所(現在の高津装飾美術株式会社)を開設。
昭和17年 戦時下の映画会社統制で日活の製作部門は新しく設立された大日本映画製作株式会社に吸収される。多摩川撮影所は大映東京第二撮影所となる。
昭和20年 大日本映画製作株式会社が大映株式会社に名称変更。撮影所は大映東京撮影所となる。
昭和26年 日本色彩映画株式会社(現在の東映ラボ・テック株式会社)設立。カラーフィルムの現像が始まる。
昭和29年 日活が下布田(現在の染地)に用地を取得し、日活撮影所を開設。
  現在の多摩川一丁目に中央映画撮影所開設。独立プロの名作が次々と生まれる。
昭和30年 株式会社東京現像所設立。映画界がカラーフィルム主流に変わっていく。
※昭和30年代 昭和32年の年間観客動員数11億3千万人をピークに日本映画界は黄金期を迎える。調布は「東洋のハリウッド」と呼ばれ、日活・大映ともに多くのスターが輩出する。しかし、その後のテレビの普及により、撮影所は次第に縮小する。
昭和44年 日活が撮影所を売却。(昭和51年に一部を買い戻し。)
昭和46年 日活がロマンポルノの製作を開始。(昭和63年まで。)
  大映が破産宣言。(昭和49年に徳間書店のもとで大映映画株式会社として再発足。)
昭和50年 日活テレビ映画芸術学院(現在の日活芸術学院)開校。
昭和53年 有限会社マリンポスト創業。後に映画タイトル、特殊効果の分野に参入する。
昭和61年 株式会社白組が調布スタジオを建設。
  日本映画俳優協会が創立35周年を記念して多摩川5丁目児童遊園に「映画俳優の碑」を建立。
平成元年 パルコ調布キネマ営業開始。
  CINEMA FESTIVAL IN 調布(現在の調布映画祭)が始まる。
平成5年 調布市映像まつり実行委員会が多摩川5丁目児童遊園に「調布映画発祥の碑」建立。
平成7年  (公財)調布市文化・コミュニティ振興財団主催の市民映画会(現在の調布シネサロン)が始まる。
平成9年 調布映画祭において、実験映画コンペティション(現在のショートフィルム・コンペティション)が始まる。
平成14年 大映の全事業が徳間書店から角川書店に移り、大映が60年の歴史を閉じる。
平成16年 大映撮影所が角川大映撮影所と改称。
 
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