※掲載の文章は、第15回せんがわ劇場演劇コンクール表彰式の際の講評を採録・再構成したものです。
第15回せんがわ劇場演劇コンクール【講評】お寿司『おすしえジプト』


【山田 由梨】
すごいものを観たなと思いました。終わって幕が閉まった後に「私たち何観たんだろう」というようなどよめきと笑いが客席から起きて、それぐらい圧倒的に新しいものでした。これを今観られて良かったという実感を持ちました。
作者の実際のお母様とおば様が演じられていて、実際のご家族の関係はともかく舞台上のフィクションとして「家族ってなんかすごいな」と思わされました。ものすごく不思議な関係性で、でもきっとどこの家庭もそれぞれ変わっているんだろうな、と。こんな親子関係もあるんだというオリジナリティを感じました。愛情がものすごく強いんだけどさっぱりとしている奇妙な関係性が、(娘である)南野さんが動かずにお母さんが2Lの水を運び続ける場面にものすごく現れていて、「家族って何だ」みたいな困惑を突きつけられました。
(戯曲のセリフについて)「私の母よ、私はあなたの膣を通り抜けてこの地に降り立った。」とか「私の母よ、あなたを讃えます。」「私のためならどこへでも行く人。私のためならなんでもする人。」と書いてあって、ある意味怖い、血縁主義ゴリゴリのセリフに受け取れるはずなのに、ここまで書き切られると清々しい。実はものすごい言葉の力を使っている戯曲なんじゃないかと思っています。前半の場面で元素のことを細かく言うところも、笑わせるだけではなくて実はすごく強い言葉を使っている。
一方で、どうしてエジプトでバイオミイラを作りたいのか、何でエジプトじゃなくて「ジプト」なのか、その辺が戯曲上で回収しきれておらず、私は分かりきらなかったところで、戯曲の構成上はもったいなかったと思いました。でもお母さんもほんとに素晴らしい俳優で、すごいと思いました。
【徳永 京子】
もし私がこのコンクールの参加者で、お寿司さんの後に出場する順番だったとしたら、ちょっと絶望的な気持ちになったと思います(笑)。客席に、よくわからないけれど多幸感のある風が吹き抜けて、お客さんも、理解しきれないけれど満ち足りているという滅多にないような空気感が生まれていて、これはもう敵わないと観念した気がします。
作品としてとても良かったのは、やはり母と子の会話です。出産の風景が娘のセリフとして(会話の中で)ゴリゴリなディテールとともに描かれ、それを受けるセリフとして母親が、人間を元素や成分で冷静に数字に還元していく。そのやり取りが他にない「ウェットとドライ」を醸し出していて最高でした。普通、母と娘の会話や、娘が母を描いた作品はどうしても、同性同士ならではの「ウェット」に傾きがちですが、この作品の母娘はウェット&ドライな関係が最後まで保たれていた。そこがとても新しく、魅力的でした。
また、母と娘以外にもう1人出てくるとしたら、よくある演劇の作品は、赤の他人か、身内なら男性という場合が多いのですが、そこに2親等の実のおばさんが出てきて、会話がさらにのんきになるのが、なかなか他にはないと思います。おば様の個性もとてもさりげなくて、2人のウェット&ドライにまた違う種類のドライをふりかけていくというか、瑞々しさとは反対の、良い意味でのパサパサ感みたいなものを味わわせていただきました。
旅行先の、エジプトではない「ジプト」という場所について説明がほしたかったなとはちょっと思いましたが、全体の世界観を考えた時に、そういった理詰めの疑問を無効化する感じがお寿司さんにはあって、心から楽しませていただきました。
【小笠原 響】
お母様とおば様の抜け感たっぷりのセリフに、いい演技をしようという俳優の欲が一切感じられないところ、十分すぎるリアリティがありました。無欲の勝利というか、こうした場面に直面すると、演技とはどうあるべきか、多くの事を考えます。
アドリブのリアリティはわかるのですが、元素記号やたくさんの難しい言葉をさらっと当たり前のように仰っていて、尚且つ説得力がありました。そこに大きな成功のポイントがあったのではないかと思っています。
最後の場面で大仏が舞台奥に現れるのですが(セッティングに苦労なさったのでは……)、大仏をバックにミイラが通り過ぎるというラストの演出もシュールさ満載で、ミイラを作りに材料をスーツケースに詰め込んでエジプト?へ向かうというストーリーの奇抜さを、演劇として終始楽しめた作品でした。
【生田 みゆき】
すごく面白かったです。これをどう評価すればいいんだと頭を抱えながら控え室に戻ったんですが、本当に本当に面白かったです。なぜか閉まってくる緞帳、なぜか降りてくるスクリーン、全く意味は分からないけど、何か面白い。
「人間とは何か」といったすごく深淵で永久の問いと、方言を活かした何でもない現実みたいなものの間を、お客さんもふわふわしながら楽しい時間を過ごしたような感じでした。
俳優じゃない人がどう舞台にいるかという時に、演じられたお母様やおば様の努力はもちろんのこと、南野さんの劇作で選ばれた言葉のなじみの良さや、演出的な視点からの導き方を含め、南野さんが演劇人として素晴らしい力をお持ちなんだと思いました。
「命」というテーマを扱う時には、子供と母親だけの関係で描かれがちで、そういう作品を観ていると父親はどこに行った!?、と嫌な気分になる時もあります。この作品では、そういったテーマを描きつつも全然嫌な気分にならない。お母さんの「(子供を)一人で作ったんちゃうけどな」というセリフなど、要因はいろいろあると思うんですが、そこは本当に感動しました。
【松尾 貴史】
葬られる命についてのお話であるにも関わらず、7度の『いつか来る、わたしの埋葬のためのレクチャー』と全く正反対でした。作る人によって、また受け取り方によって、命というものの捉え方はこう変わるものかと、「おかしみ」の違いを感じました。
お母様が出演している事がすごいリアリティで、嘘のドキュメンタリー映画を見ているような不思議な気分になりました。途中で娘の言葉を遮って「ちゃうちゃうちゃう」って止めるところも、本当に覚えて喋っているのかと改めて台本で確認したら、やっぱりそう台本に書いてあった。すごい技だなと思いました。
幕が閉まった時にその後で笑いが起きていたのは、あれはもう、お母さんの間の良さなんだと思います。全体的にお母さんの持ち味をうまく、ある意味で動物を使うように計算したところが勝因だったのではないかという気がします。
