
第15回せんがわ劇場演劇コンクール受賞者コメント【劇作家賞】南野詩恵(お寿司『おすしえジプト』)

コンクールに参加してみての全体の感想や印象はいかがでしたか。
「お寿司」として初めてのコンクールでした。せんがわ劇場演劇コンクールでないと、受け入れていただくことは無理だったろうと思ってます。
私は母と叔母と、大叔母の声と共に舞台に立ちました。母も叔母も普段は舞台に関わっている人間ではないので、コンクールなのに見るもの全てが新しく、珍しく、驚き、喜び、興奮し、大きな声(普段の声のボリュームが大きい)で話をしていました。
せんがわ劇場演劇コンクールのスタッフの皆さんは手のかかる私たちの座組を受け入れ、コンクールに無事に出場させてくださいました。本当に感謝しています。また、アテンドくださった劇団しようよ(第6回せんがわ劇場演劇コンクール オーディエンス賞受賞)の大原渉平さんからも手厚いサポートをいただき、創作期間から本番まで根気強く、心を込めて支えてくださいました。母も叔母も大原さんが大好きになりました。私もです。
また、せんがわ劇場演劇コンクールの話を他の演劇人に話すと驚かれます。他のコンクールでは評価する側と上演する側に越えられない大きな溝があるそうです。せんがわ劇場演劇コンクールでは上演後に公募審査員と専門審査員との40分×2回のアフターディスカッションがあり、そこでは参加する全ての人がお互いにリスペクトを持って、ファシリテーターの居る安全な場所で素直な意見を交換することができました。こんなにフラットなコンクールは無いだろうと感じています。フラットどころか、せんがわ劇場の皆さんがお寿司のグラグラとした営みをなんとか舞台の上に乗せ、支え、作品として仕上げてくださったように感じています。
また、最後のお茶会ではよたのメンバーの方々とお友達になりました。 せんがわ劇場演劇コンクールに出場したきっかけの一つにD E L(デル)に所属して活動することができるというポイントがありましたので、今後の出会いと創作が楽しみです。コンクールでは終わらない、これから先に可能性が続くことをとても幸福に感じています。
劇作についてのこだわりを教えてください。
大叔母と叔母と母と私、母系血縁女性による血の物語を描きました。
血のつながった4人の女性による演劇作品。もう既に可能な治療を終えた大叔母の命のリミットを見つめながら、一族の血と1人の人間に流れる血について問いかける演劇作品です。
上演の25日後に大叔母は(ジプトに)旅立ちました。
私は、人間は物語の生き物であると強く感じています。人間は食物連鎖の頂点に立ち、地球を支配し、独自のルールを定めた生き物です。歴史も伝統も宗教も政治も倫理も神も全ては物語であり、手作りの物語を信仰して生きています。そして生き物としての本能や本来の姿と、物語上の人間の在り方のギャップに心を傷めていています。
私たちは死ぬ時にも何かの物語に乗って行かねばなりません。ですが私は神様や仏様をうまく信じることができません。理解ができずに、疑っています。
主なる父は神話ですが、生母雅子は事実です。
私たち血縁は30分間舞台上に血の結界を貼り、事実と神話(エピソード)を並べます。人間の構成物質は、水が60%、タンパク質15%で、脂質が12から20%。これは事実です。神道、仏教、キリスト教、イスラム教、その他様々な宗教における死後の世界の物語のリサーチをもとに生前への影響を考えました。それらは事実でしょうか?
死んだ人間はこの世には居ないという設定の上、生き方(教義、戒律)も、死後(結末であるとすれば結末)もバラバラな物語の登場人物として、同時進行で演じられ交差する舞台上で私は私の役割を果たしながらどの立ち位置につき台詞をはくのか、「現実」とされる手作りの物語の中で、手作りの物語を演じる入子構造を、生物学的に血のつながった役/役割によって果たし、現実とはどこまでが物語かと問いかけます。
私は母から生まれ、想定している順番としては、私が母を葬ります。母親には子どもを生かそうとする本能があります。母親は自分の血と相手の血を混ぜて子を作り、血を流して子を産み、血から作った乳を子に飲ませ育てます。卒乳後、母親は子のために別の種類の生き物の血を流して子に食べさせて育てます。そして同じ見た目をしていても、さらには食べる目的ではなくても、人間は同族のためならば、異族の命を奪える生き物であると世界が証明しています。同族と異族で流れる血液の色が同じであったとして、私たちは何をもって流して良い血と、流してはいけない血を決定するのか。強すぎる物語は人の命を奪います。
自分は無宗教だと信じている血の繋がった日本人女性達が、一番強い「血縁」の物語を紡ぎます。
劇作家賞受賞の感想をお聞かせください。
初めての賞をいただいた後、今後の活動を賞でどうこうしようとするのであれば、賞は5個も6個もないとダメなのだ。次は賞を集めなきゃいけない。と気がつきましたが、そんなことはもう無理だと理解しました。作品発表の際にも、これはコンクールであるということが意識の中に入り、作品発表を味わい尽くすことが私にはできなかったのです。当面は、もう普通に発表し、作品を味わっていこうと考えています。
私は途中から劇作家になりました。衣裳作家から創作のキャリアがはじまり、衣裳作家ではクレジットを貰えなかった事態が何度も生じたため、自分の名前を作品に載せるためにはゼロから作るしかないと解釈し、無理やり劇作・演出をはじめました。
私は、お寿司でなら劇作家になれたようです。
いただいた賞状を生きた大叔母に見せることができました。間に合ったのです。大叔母は、「大人になってから賞状をもらうことは、そうないことや。」と、とても喜んでくれました。そして大叔母は私に金庫の鍵を渡し、金庫を開けさせて、中から財布を取り出させ、そこからお金をくれました。詩恵はお寿司の活動するんやからなにかとお金が必要やろうと、もうそんなにお金を使うことがないやろうからさいごのお買い物だと言ってお金をくれました。
お金も賞も欲しかったけれど、欲しかった欲しかったそれらは手で持つと、やはり紙でした。紙に物語がついたものでした。そんな気持ちになることも含めて作品にしてやろうと思っていたくせに、分かっていたくせに、胸が苦しくなり、たくさん泣きました。
でも大叔母に見せることができて本当に良かった。 母も叔母も元気なうちに、大叔母にもらったお金で『おすしえジプト』beforeえジプト、afterえジプトを創作し、並べて上演します。
コンクールに出場してよかったこと、大変だったことを教えてください。
安藤忠雄建築の中を行ったり来たり、建物自体が美しく、また一筋縄ではいかず、3階は特に垂直の感覚が狂うようなデザインです。特徴の一つとして大体が灰色、どのドアも灰色、コンクール中に狙った場所に到達できるようにはなりませんでした。
最初の劇場打ち合わせではエレベーターは使ってよいということだったのですが、動線混乱防止のためにエレベーターの使用は控えましょうと仕込み日に告げられました。ですがもうゲネ終わりでくたびれている母と叔母をエレベーターに乗せて降ろしてあげたくなり、お寿司以外に出場団体がいない状態だったのでもう混乱する動線もなかろうと考えた私は「お母さん、もう、乗ってこ。」と、母と叔母とエレベーターに乗って降りたら、スタッフさん達がたくさんいる場所で扉が開き、エレベーターを使ったことがバレました。そっと帰れる場所に着くと思っていたのですが、建物の構造を理解しきれていませんでした。
今後の活動の抱負を教えてください。
お寿司でだったら作品/演劇ができる。そんな活動を目指します。
私は、お寿司でだったら劇作家・演出家になれました。
舞台は、選ばれし者のみの世界ではない、誰だって望めばそこに立てる場所であってほしいと願っています。今回のコンクールでお寿司作品に出演した人間は俳優ではありませんでしたが、そこでは演技と演劇が起こっていました。
舞台の上は、人間誰しもが持つ力を再び信じ直すことが出来る場であると考えています。選ばれし者の世界ではどうもしっくりこなかった、けれども何かを創作したい。そして私とコミュニケーションが取れる。そういった方達と出会い創作をしたいです。
私は舞台作品を通じて、悔しかったことをやり返しています。創作で復讐/復習を果たしているのです。生きていく上でやり直したいことや、考え直したいことを、暴力という方法ではなく、作品の力を使って舞台の上でやり返したいと考えています。
まずは今回上演しました『おすしエジプト』をbeforeえジプトとして、(英語のセリフを多くし見ていただける方の数を増やします。)また一神教のリサーチを引き続き行なって創作する作品をafterえジプトとし、beforeとafterを並べて上演します。 その先数年かけて、許しをテーマにした作品『ゆるしてやらむ』と、猿にも人にも観せる作品『猿が楽しむ』をじっくりと作りたいと考えています。

お寿司
南野詩恵