【劇評②】第14回せんがわ劇場演劇コンクール グランプリ・オーディエンス賞受賞公演 バストリオ『セザンヌによろしく!』
パレスチナの縫い目/私の縫い痕─ポストシアトリカルな絡み合いを記述する
第14回せんがわ劇場演劇コンクール グランプリ・オーディエンス賞受賞公演
バストリオ『セザンヌによろしく!』
渋革まろん

「わたしは、いき、もの、だった」
「すべて、つながって、いた」
1、バストリオの網細工
一本の線。一本の線は引かれる。一本の線が引かれる。甲高く伸びるひとすじの金属音と波長を合わせる。一本の線。舞台後方のスクリーンに投影される白い面に押し当てられた木炭の画材は時間のゆらぎをそのあとに残し、かすみとゆがみの情動=効果をかすかに予感させながら上演空間に潜在する時間=記憶にぽつぽつとただよう語の痕跡──心臓は動いていた/おとんはあと一ヶ月/クジラやな/2024年1月1日/ヤマはウミやねん──を曳網漁か地響きのように巻き取る。そこで心電図の波形から、右上がりの稜線から、呼吸する波のゆらめきから、能登半島地震の断層へ繰り返し増えていく線=イメージのパターンが絡み合い折りたたまれる形象に私はなる。そして沈黙ののち、訪れることのない休息を撒き散らすようにとりどりの色彩とサックスの音色と水槽に落とされる水の音色とドラムセットのグルーヴとの響き合い、その流れに入り込む知覚と切り離すことのできない共-感覚が密度をあげて私に凝集する──。
一気呵成にあのときに感じられたことがらを言葉にしてみたが、こうして上演の体験を記述するのはいつも難しい。バストリオのように自明な演劇/劇場の文法におさまりきらない上演となるとなおさらだ。
私はこの連作の第一作『セザンヌの神鍋山』を〈ポストシアトリカル〉な経験を構成する劇場〈外〉のオルタナティブな実践として論じたことがある。ここで言う〈外〉は、物理的な建物の〈外〉をそのまま指し示すわけではなく、市民や生活者の「現実」を代表する集権的な機関=劇場という制度の〈外〉を指している。
しばしば「劇場は社会を映す鏡だ」と言われるように、劇場は市民の政治意識や、消費者の欲望──たいていは感動──を映し出し、またはそれを再生産する文化的な装置として機能してきた。じっさい、わたしたちは劇場にライブでしか味わえない感動や一体感(現実)を求めて足を運ぶ。より「高尚」な観客であれば、そこに現代社会の「現実」と批判的に向き合うための市民的教養を身につける場──民主主義の「現実」を具現化する公共空間──を期待するかもしれない。
しかしバストリオは、そうした本物の「現実」を代表する劇場の舞台空間/制度にはまったくそぐわないかたちで、つまり「劇場中心主義」の〈外〉において上演の経験を編み上げる。
2、〈ポストドラマ〉と〈ポストシアトリカル〉
それはもしかしたら「ポストドラマ演劇」と呼称される演劇の形式によく似ているかもしれない。2009年、相馬千秋プログラムディレクターのもとで開催された「フェスティバル/トーキョー」を震源地に、「新しい演劇」のモデルとして大陸ヨーロッパから輸入された「ポストドラマ演劇」(ハンス・ティース=レーマン)は、西洋の伝統的なドラマ形式に対抗する多種多様な上演を包括する概念として、日本でも広く普及した。
ドラマ演劇では、何がどうなるのかという出来事の全体を支配する戯曲(ドラマテクスト)をもとに、俳優が登場人物を演じ、虚構(フィクション)の世界を立ち上げ、危機的=ドラマティックな筋書きを再現することになる(そして観客はその危機を乗り越える人間に感動したり、現代社会の縮図を見たりする)。
一方、ポストドラマ演劇では、従来は読み物=戯曲と位置付けられていたドラマテクストもまた映像、美術、身体、音といった知覚的に現前する具体的な素材(マテリアル)のひとつに引き戻される。そして、それらの多様な素材によって喚起される意味/効果と、パフォーマティブな諸行為を通じて諸々のアイデンティティ──社会的・文化的・生物学的……な諸属性やテクストに書かれた役柄──が身体化される過程の中で、俳優と観客の振る舞いが共に関わり合う状況=出来事として生起する。
総じて言えば、ポストドラマ演劇では、主人公のドラマ(物語)によって再現=代表されていた「現実」なるものの全体性が解体され、上演での美的経験のモードが、上演の記号的な解釈を求める「作品の鑑賞」から、現前する知覚や情動への応答を求める「出来事への参加」に移行するとされるのである。
バストリオの上演に立ち会う観客もまた、上演の現在的な時間に生起する「出来事」への参加を促されているような感覚を得たはずである。パフォーマーが客席を何気なく歩き回る客入れの時間、そして開幕とともに観客に向けて語られるドラムのスティックの思い出は、物理的・制度的に隔てられた舞台と客席を共に居合わせる場の内に包み込み、伸びやかなサックスの音色とドラムの打撃音はまさにそのような音響的・叙情的な出来事のうちに観客を巻き込んでいく。
さらに舞台に吊られたブルーシートと、脚立、水槽、テーブルランプ、作業灯、スタンドライト、ドラムセット、学習椅子、そして水槽に注がれるペットボトルの水やそこに挿し込まれる枝木などが、生活や作業の物質的な断片として上演空間に配置される。当然ながら、登場人物が事件に巻き込まれて恋したり戦争したり成長したりするドラマの筋書きはなく、そのかわりに上演全体は、
1、勝手な生
2、洗礼
3、観光
4、誰かの声
5、乳と蜜が流れる土地
6、たった一つの
という6つのセクションから成り立ち、そのなかで、
「私はよくお腹がすくんですけど、お腹がすいたときに一本満足を食べます/私は植物じゃないんですけど、私じゃないものを想像するためにこれから植物をやってみようと思います」
と、両手のひらを客席に掲げて語られるパフォーマーの生活に紐づくエピソードや、アイソレーションの腰で刻まれるリズムのうちに垣間見える、植物を身体化するデモンストレーションなどがその場で実際に遂行される。こうしておそらく彼/女らが見たり出会ったり考えたりしたさまざまなトピックの「モンタージュ」が、パフォーマティブな諸効果を刻印しながら、上演の時空間を構成していくのである。
ただし、私があえて〈ポストシアトリカル〉という用語で、劇場で行われたバストリオの上演の記述を試みるのは、レーマンが展開したポストドラマ演劇、その流れのなかで演劇の美学理論を刷新したエリカ・フィッシャー=リヒテの「パフォーマンスの美学」が、ドラマから上演へ、作品から出来事へ、観客から参加者へ、解釈の全体性から知覚の断片性へと転回する美的経験のパラダイムを強調しながらも、結局のところ、上演=出来事を、制度化された劇場空間を前提にする「芸術」として扱っているからだ(★1)。
バストリオの上演との差異を理解するため、ポストドラマ演劇が、シアトリカルな「空間」によって条件づけられていることを確認しておこう。「ポストドラマ演劇」のコンテクストで語られるドキュメンタリー演劇やレクチャーパフォーマンスでは、より直接的な現前性の感覚(そのひとがまさにここにいる)を喚起するために、俳優ではない素人、異なる分野の専門家、社会的に周縁化された当事者が登場=参加し、社会的マイノリティや異文化の歴史的な証言という「社会的現実」を上演空間に持ち込む。それでも結局のところ、そうした声をアウラを帯びた特別なものに見せるのはシアトリカル/劇場的な空間の構造である。ポストドラマ演劇は、劇場的な空間の代表構造と結びついた、芸術的な出来事とそうではないものを選別する芸術という制度のもとで、上演経験を美的=芸術的空間の内部に囲い込むのである。
ところがバストリオは出来事にまとまりを与える美的=芸術的空間を前提にするのではなく、どこまでも連鎖し続ける解釈と応答の連なりとその絡まり合いのうちに私たちを誘い込んでいると思われるのである。バストリオの上演は、あのせんがわ劇場で体験される60分の時間と空間に閉じていない、と想像してみよう。それはあらゆる方向と時間に伸びていく記号的・物質的な諸要素の関係が一時的に凝集する「結び目」に過ぎず、その連なりの力線は、10年前、1週間前、1週間後、10年後……と連鎖する多種多様な結び目とつながっている。
パフォーマティブなもろもろが生起する出来事の時空を、空間ではなく線の絡まりとして捉え直すこと。さらにはこの世界のあり方を、国境で区切られる領土や、安価な労働力と資源の収奪を軸に地理的配置を再編するグローバル資本の空間ではなく、トランスローカルに諸空間/カテゴリーを横断するあらゆる線の絡まり合いとして再-想像させること。その根本的な態度変更が、バストリオの〈ポストシアトリカル〉な上演実践を特徴づけている、と言ってみたいのである。

3、線のパフォーマンス
ところで『セザンヌによろしく!』は変形する線のパフォーマンスだった。ステージよりも一段低い、客席と地続きの左手のスポットには、台の平面を俯瞰で撮影して舞台のスクリーンに投影するライブカメラが設置されており、グラフィック制作を手掛ける黒木麻衣が上演のあいだ、その上に置かれた白紙にさまざまな質感をともなう線を引いていく。セクション1「勝手な生」における、クジラや人間やさまざまな生き物の寿命をめぐる語りのさなかには、墨のような濃淡を帯びた波線が、ゆるやかな楕円を描きながら伸びていき、やがてクジラの背中や島影のようなイメージへと結ばれていく。
あるいは、セクション3「観光」にてクリーム色のハットを被った男が、
「クマだった/クマはやまを走り抜けた/一晩中走った/クマの手はその動きを止めることがなかった/クマはオリーブ畑を抜けてどこまでも走っていた/クマはやまのかたちを少しだけ変えた」
という短い情景のナラティブを連ねる場面。叙述されるクマの動きと同期するように濃淡のある幅広のストロークが、クマが走り抜ける軌跡のように折り重なる。絨毛や水草の群れのようなイメージが揺らぎながら現れ、やがて一本の輪郭線が引かれることでストロークの軌跡は「山」であったことになる。
もちろん、スクリーンには各セクションのタイトルや、能登半島地震を思わせる「2024年1月1日」の日付が投影されたり、まさに本作のタイトルと呼応するセザンヌが晩年にかけて執拗に描き続けた「サント=ヴィクトワール山」を思わせる構図とモチーフの絵が映し出されたりもする。
極めつけは冒頭で記したような線の想像的な躍動である。それが現れたのはセクション5「乳と蜜が流れる土地」だった。その土地とは旧約聖書において、神がイスラエルの民に約束したヨルダン川西岸の地を指している。神様、人間、観光客、光と、そこに来訪するものたちをめぐる詩的な語りが重ねられたのち、みずからを「感光板」になぞらえたセザンヌの絵画論と呼応するように、セザンヌへの呼びかけから始まる風景と感覚の混淆にまつわる対話、三万年前の噴火と圧縮された歴史=物語、神話的意味を帯びたクジラの捕鯨も想起させるトピックが、情動的なリズム=力の噴出とともに発語される。そこで運動する線のリズムは、観客とパフォーマンスのあいだに潜在する記憶の痕跡と結びつき、心電図、山の稜線、波のゆらめき、地震の断層などのイメージを呼び起こしながら、観るものの身体的な知覚と想像力を可塑的に変形させていく。
多種多様と言うにはあまりにも過剰な「情報」の氾濫。だが、線はまだ運動をやめない。最後のセクションにいたり、ついにそこに座っていたものたち、すなわち制度的に観客と呼ばれるものたちの姿態をトレースし始めたかと思うと突如として、男の声が──
「山の向こうからミサイルや核爆弾を打ち込んでこようが、おれには通用するはずもなかった。言葉は神様だった。言葉は無数にさまざまな土地に存在した。そしてこの山もまちも劇場も植物も人間たちもすべての生き物はいつまでも平和に暮らしまし」
と、破滅的な暴力の感覚を帯同しながら、それが言い終わらないうちに口を塞がれた「ん」の暗示を残して中断されてしまうのである。
日本語のカミは生々流転する生命の別名だった──そうした民俗学的言説を喚起するように、観客たちのゴツゴツした輪郭になる線は、一神教の神からアニミズム的な「カミ」の諸形象──クマ、山の稜線、地震、噴火、クジラ──を絡み取りながら、「んんんんん」の呻きの印象がほのめかす蹂躙の気配とともに、唐突なミサイルによって吹き飛ばされた「肉片」として、観客自身を映し出す(私は肉片なのだ)。分類不能な混乱した形象が私(たち)の身体を過剰な傷の縫い痕/縫い目から編まれる織地に変える。その線がなぞるのは「私」を凝集する絡み合う生のかたちであり、その線が誘惑するのは私(たち)の模倣的な共鳴なのである。
4、「なりうること」としてのミメーシス
ここで働いている上演のメカニズムを、ふたつの観点から名指しておきたいと思う。ひとつは「なりうること」としてのミメーシス(模倣)。もうひとつは「絡まり合うこと」としてのメッシュワーク(網細工)である。どちらも〈ポストシアトリカル〉な実践を枠付ける視座であると私は考えている。
まず、前者における模倣は、何らかのキャラクターの再現ではなく、他者や環境との関係のなかで、一時的かつ断片的に異なる存在へと変容してしまう生成的なプロセスを指している。それは再現的ではない生成的ミメーシスといえる。その働きの理解を助ける手がかりとして、演劇のみならず儀礼やスポーツ、日常行為まで含めたらあらゆる活動を「パフォーマンス」として捉える枠組みを提供し、「パフォーマンス研究(Performance Studies)」という研究領域の理論形成を牽引したリチャード・シェクナーの「私ではない……私ではないではない」のよく知られた演技論に触れておきたい(★2)。
シェクナーによれば、パフォーマンスは単なる「オリジナルの再現」ではなく、反復のプロセスのうちで「オリジナル」とされるものを再構成する「復元された行動(restored behavior)」である。反復は同じものに回帰するのではなく、つねに差異を伴いながら復元=再演される。だから、過去の出来事を語る歴史資料、民間伝承、神話、あるいは行動の設計図としてのスコアは、「オリジナル」の出来事や戯曲から切り離された行動の断片、つまりは参照点とみなされ、新たな文脈や制約のもとで──演劇の枠組みでは稽古の過程で──反復されるたびに出来事の「現実」をふたたび組み直す。こうした不安定な反復の過程では、演じるもの(私)と演じられるもの(他者)のどちらの「である」にも帰着しない二重否定性が、パフォーマンスの内在的な構造として働く。パフォーマンスの演技者は、参照される他者(「私ではない」)の経験を媒介にしながら、「私ではないではない」としての過渡的・境界的なアイデンティティを体現することになる。
このときバストリオの上演におけるミメーシスは、セザンヌ、植物、山、クジラ、文鳥を飼う人、観光客、あの日の私……のような「私ではないもの」を、実体的な対象として再現するのではない。むしろそれらの他者性を経由し、「私ではない」と「私ではないではない」のあいだに生起する潜在的な変容のプロセスに身を投じる模倣の運動として立ち現れる。ただし、その変容の運動をふたたび「私」という主体に統合するようなドラマテクストや舞台様式の象徴的なコードは、あらゆるトピックを矢継ぎ早に通り抜けていくモンタージュの構成によって機能不全に陥っている。そこにバストリオの実践の特異性がある。
つまり、「わたしは、いき、もの、だった」と発語するパフォーマーは、演技の方法、シンバルの響き、「見ざる・言わざる・聞かざる」のような振り付け、そして語の物質性(いき/もの/だった)を強調した発語のリズムによる、複数的な力の流れに身を投じながら、すぐさま別の状況に入っていくため、あるキャラクターになるために、あるいはそれを生きる自分自身になるために言葉を発することができない。主体は生のグラデーションの中に溶けてしまうのだ。パフォーマンスの「主語」(私は〜になる)は空白の座として開かれたまま、「〜になりうる」運動に留まり続け、その場に居合わせるものたちの知覚に働きかけるひとつの結び目を紡いですぐさま消え去ってしまう。観客にとっては、「私」として対象化される主語が立ち上がらないからこそ、その空白の座に生起する情動的なリズムやエネルギーの流れを、自らのうちで模倣的に反復し、諸関係が結ばれる結び目の瞬間瞬間に「共鳴」することが可能になるのである。

5、「絡まり合うこと」としてのメッシュワーク
もうひとつの「絡まり合うこと」は、意味が単線的に伝達されるのではなく、常に諸関係の束を通って生成される力動的なプロセスを指している。ポイントは、たとえば「スカートをはく」というパフォーマティブな実践を、「女らしさ」を身体化する(家父長的な)ジェンダー規範の再生産だ、とするような一義的な解釈を持ち込むのではなく、多様な要素の絡まり合いとして見直すことにある。
スカートの織地(テクスチャ)には、スカートを女性性と結びつけるジェンダー言説、立ちふるまいを控えめにする衣服の形状、風になびく感覚、母親の記憶、性別役割分業を通じてジェンダーを意味づけていた近代の産業資本主義、それをこのように記述する筆者の視線など、複数の時間、歴史、感覚、言説、物質が交差し、互いに干渉しあう関係の束が織り込まれている。それぞれの要素は相互に関係するプロセスのなかで、人間にかぎらない非人間的なものも含んだ行為者性(agency)を作動させ、制度的、物質的、情動的、記号的な力を媒介する「結び目」となることで、それらの関係の織り目を絶えず編み直しながら、複雑な連鎖と干渉の網細工(メッシュワーク)を紡いでいく。
バストリオの上演はまさに絡まり合うメッシュワークとして編まれている。スクリーンに映し出された線の軌跡は、それ自体が意味を明示することなく、観客の記憶や感覚を横断しながら、焼け焦げた肉片、山積みの死体、クジラの身体、罪の徴、そして狩られる動物としての人間といった記号的・物質的な連想の結び目を生成する力として作用する。これらの織り込みは、人間/動物という階層化された人間中心主義の言説を攪乱し、肉片としての「人間」が、他の種と同様に狩られ、食される生命の一単位であることを思い起こさせる。
編まれるのはもちろん実際のラインだけではない。観客の注意を引くように設計されたパフォーマンスとは無関係な場所で、なぜか横たわっている身体。物語的な役割が与えられていないこの身体は、「横たわる身体=死体」といった演劇の慣習的なコードに従って解釈するには文脈があまりに欠落している。明確な意味をもたない「モノ」としての物質性を帯びはじめるそれは、バスドラムの衝撃や「2024.01.01」という数字の提示と結びついたとき、事後的に「あれは死体だったかもしれない」という痕跡の不安を喚起すると同時に、冒頭で吊られていたブルーシートの質感が飴屋法水の戯曲の記憶に触れ、その一方でスタンドライトの明かりが居間の雰囲気=いつもの生活を部分的に喚起することで、死や災厄の想像に縫い付けられる平穏な生活の結び目が、複雑な縫い目の効果として観客の「私」=織地(テクスチャ)を織り上げていく。
つまり、メッシュワークの絡まり合いは、観客一人ひとり(私)の知覚や記憶を介して手繰り寄せられる。私が「絡まり合い」と「メッシュワーク」のタームを借り受けたティム・インゴルドの著書では、二次元空間に配置された点と点を結んで引かれるラインと、糸(thread)や軌跡(trace)など運動し成長するものとして知覚される生の道筋としてのラインを対比させ、ネットワークとメッシュワーク(網細工)を似て非なるものとして描き出している。
いまや私たちはネットを、織り合わされたラインというよりも相互に連結した点の複合体であると考えるようになった。(…)網細工(メッシュワーク)のラインは、それに沿って生活が営まれる踏み跡である。(…)網の目(メッシュ)が形成されるのはラインの絡み合いにおいてであって、点の連結においてではない。(★3)
メッシュワークは世界の表面を横断して連結する線の複合体(ネットワーク)ではなく、世界を通って自らの道を伸ばすように歩んだ踏み跡(trail)の絡み合いである。点と点を連結させたラインは占拠(occupation)のラインとも呼ばれる。占拠のラインは空間を収奪するものとして囲い込み、包囲する。それは個人を動く「点」として収容する境界線になる。一方で、インゴルドが居住(habitation)と呼ぶのは、徒歩旅行者が出会う多様な表面──硬い地面、水、植物など──や人びととの関わりから、その土地そのものに織り込まれるさまざまな踏み跡の結び目である。
結び目は、そのなかに生を収容するものではなく、それに沿って生が営まれるラインそのものから形成されている。(…)ラインたちは結び目を超えて踏み跡を延ばし、かならず他の結び目のなかで他のラインといっしょになる。こうしたライン全体を私は網細工と呼びたいのである。一つひとつの場所は網細工の結び目であり、そこから延びる糸は徒歩旅行のラインである。(★4)
それでは、劇場は生を収容する占拠の空間だろうか? 多様な生のラインが絡まる網細工のような結び目だろうか? もちろん一概には言えないが、少なくとも、理念的には、シアトリカルに現前/表象する「代表」の構造において、文化的アイデンティティを再生産/再構築する劇場空間は、異質な生と出来事を文化的・美学的に統合する普遍性の空間と言えるだろう。そのうえで、西洋への憧憬を残響させた「舞台芸術」の名のもとに、「文化芸術に政治を持ち込まない」という美的=中立的な戦後民主主義の文化的コンセンサスを通じて統合される日本の劇場空間は、西洋中心主義、エンタメ消費、平和主義が奇妙に接合された全体性の空間としてイメージされるのではないか? そこには上演の快楽に身を委ねることで、異質性と抵抗の力を剥奪された〈生〉が収容される。
この意味で、日本文化における「劇場中心主義」は、それぞれに身体化されたローカルで異質な文脈と生のラインを、普遍的に理解可能と想定される──誰にでも理解できる──内容に変換し、文化的差異や多様性を尊重する「建前=代表」と「共感」の装置を通じて包摂する制度的なメカニズムとも言えるだろう。
けれども、バストリオのメッシュワークは、劇場を文化的な制度や権威の揺るぎない担い手としてではなく、複数の線が絡まり合う可変的な結び目に変える。上演の冒頭からスクリーンに映し出される「ここはせんがわ劇場です」と書かれた一枚の紙は、そこが美的な体験を享受する普遍的な空間ではなく、日本の調布市仙川町にある特殊な結び目であることを示してやまない。いまやそこにメタ視点から演劇の虚構性=無意味さを暴露するアイロニーを読み取る余地はない。せんがわ劇場は、もはや上演の背景ではなく、「お前はどこにいるのか」という問いかけを観客一人ひとりの身体に編み込む結び目になる。
ポストシアトリカルな実践とは、たとえばサイトスペシフィックな上演において、特定の場所の物理的・歴史的・文化的な文脈や、環境の制約そのものが、知覚や言葉との絡まり合いのなかで生成されるように、「舞台芸術らしさ」を条件付ける劇場空間の約束事を、どこまでも連なる行為と応答の絡まり合いに織り込まれたひとつの結び目とみなす視点の転換である。
ポストシアトリカルな絡まり合いのプロセスには終わりがない。ソファに寝転がりながらXのタイムラインを流し見ているときにも、私は絡み合うラインにほどかれながら生を紡いでいる。私の身体はソファの形状に結ばれ、アカウントの自己像に結ばれ、注意経済のアルゴリズムに結ばれ、プラットフォーム資本主義に貢献するフリー労働者の身分に結ばれる。つまり、劇場の経験も日常に偏在する絡まり合いの一端として脱特権化されることになる。だからここで、ポストシアトリカルな実践が関心を向けるのは、劇場の経験を構成する文化的・社会的・政治的・物質的……な諸要素が、上演が具現化されるプロセスのなかでどのような効果の結び目を織り上げるのか、ということだけなのだ。
だからこそバストリオは、上演の時空に特異な反応と知覚が呼び起こされる「網細工の罠」を仕掛ける。公演時間の内も外も、散歩で通るひとつの小道に過ぎないが、興味深い路地裏は散歩の時間を濃密にする。水槽に水が注ぎ込まれる瞬間、赤い丸、映し出される植物の写真、文様、文鳥のエピソード……を観客は単に見て解釈するのでも、(あまりにも自明な)演劇の虚構性や、私たちが埋め込まれている政治社会的な現実を暴露するのでもない。それらは私が常に注意深く反応・察知しなければならない路地裏の雰囲気やバラックの材質であり、そこを歩いていく私の知覚や記憶に意味にもならない感情の陰りやもたつき、語の異物感、知覚のしこりの痕跡を〈生〉に縫い合わせる、網細工の罠なのである。
そして、「私ではない……私ではないではない」の過渡的な状態を生起させるパフォーマティブな時間には、主体を支える統一的な身体像をきつく縛り上げていた多様な規範の結び目がゆるみ、私に身体化されているジェンダー、セクシュアリティ、ネイション、宗教、文化などの諸カテゴリーはもちろん、より微細なレベルで主体性/アイデンティティの感覚を織り上げている記憶、知覚、物質などの諸関係の効果が、「行為者性」の力能として立ち現れるだろう。パフォーマーの主体(私)が言葉を発するのではない。言葉と物質的・想像的な環境の結び目がある種の強制力としての行為者性を作動させ、その瞬間瞬間に発語を噴出させるのだ。上演はもはや観客や俳優といった単一な主体の手にはなく、主体の意識下において上演を編んでいる行為者性がパフォームし、知覚し、接触し、摩擦を起こし、絡まりあう。メッシュワークのプロセスでは上演の全体を見渡せる視点は立ち上がらず、観客の私は私自身を、関係の多様な力線が縫い合わされる効果=織地(テクスチャ)、その線の絡まり合いそのものとして見出すことになる。
にもかかわらず、その瞬間瞬間の複雑な結び目を紡いでいた網細工は突如として、ある意味では暴力的にまとめ上げられることになる。網細工の罠を仕掛けていた時間の終わり、左右からの緞帳が締まりかけるその刹那、緞帳の隙間からパレスチナ国旗/旗がその視界に結ばれたのである。

6、パレスチナと私の縫い目
昨夜、マガーズィー難民キャンプへの空爆による大殺戮が行なわれ、七五人もが死亡した。(…)なぜ子どもたちがベッドで眠っている間に殺されなければならないのか、誰も説明できない。その子たちの上に、なぜビルを倒壊させなければならないのかも、説明できない。このジェノサイドの蛮行から私たちを守るものは何もない。(12月25日/月曜日)(★5)
いま、パレスチナのガザ地区では未曾有のジェノサイド(民族の破壊を目的にした組織的な殺戮)が行われている。南アフリカの訴えを受け、国際司法裁判所(ICJ)はイスラエルに対しジェノサイドを防止する暫定措置を命じたが、イスラエルはその反論に「自衛権」を主張し、パレスチナ人への虐殺を加速させている。難民キャンプ、病院、学校、国連施設。子どもや女性、高齢者、負傷者らが避難する場所を狙い撃ちにした爆撃は、明らかに「ハマス戦闘員」ではなく、パレスチナ人全体に向けられている。
2023年10月7日、ガザ地区を統治してきたハマスのパレスチナ人戦闘員は、イスラエル南部の軍基地や音楽フェスを襲撃した。確かにこれはイスラエル市民を無差別に殺害したテロ行為であり、正当化の余地はない。だが、イスラエルはこれを口実に、ガザを完全封鎖し、大規模な空爆を開始した。10月13日には「人道的避難」を呼びかけながら、避難民が殺到した南部に大規模な空爆を行い、ガザの人びとを入念に殺戮していった。ガザ保険当局の発表によれば、2025年7月10日時点で、57,000人以上が殺害されている。
一部マスメディアは、イスラエル側の公式見解に同調して、ハマスによる襲撃を、パレスチナのイスラム過激派による残虐なテロ行為と印象付けてきた。しかし、多くの識者が指摘する通り、歴史は10.07から始まったわけではなく、この暴力もまた無から湧き出たものではない。
1948年のイスラエル建国は、パレスチナの地で暮らしていた人びとへの虐殺と追放の上に築かれた。70万人以上が故郷を追われたこの出来事は、アラブ人のあいだで「ナクバ(大厄災)」として語り継がれている。その後もイスラエルはアラブ諸国との戦争を繰り返し、1967年の第三次中東戦争ではガザとヨルダン川西岸を占領。軍事支配と差別、土地収奪に抗議する民衆の怒りは、1987年の第一次インティファーダ(民衆蜂起)へとつながった。この時期に結成されたイスラム主義組織ハマスは、武装闘争による解放を掲げる一方で、イスラムの教えに基づき、貧困層への医療や教育などの福祉活動を通じて、パレスチナ人からの支持を集めていった。
しかし、2006年の選挙でハマスが民主的に勝利を収めると、イスラエルと欧米諸国はその正統性を認めず、「テロ組織」として排除した。その結果、パレスチナは西岸のファタハ政権と、ガザのハマス政権に分裂。2007年にはイスラエルが治安維持を名目にガザを封鎖し、人の出入り、燃料、食料、電力、水道、医療資源まで、生存に不可欠なすべてのインフラをその統制下に置いた。こうした封鎖政策は、国連を含む国際人権団体から「集団的懲罰」として繰り返し非難されている。
パレスチナの民主主義が欧米諸国によって否定されるという滑稽で欺瞞に満ちた一幕のあと、逃げ場のないガザに残されたのは定期的に投下される爆弾と破綻した生活だった。失業率は50%を超え、住民の多くが慢性的な貧困に陥った。2023年10月7日以降は、水や電力の供給削減により深刻な水危機が発生。食料支援物資の搬入も妨害され、ガザ地区の約47万人が「壊滅的な飢餓」に直面しているとされる。人為的な飢饉が虐殺の道具として使われているのだ。
パレスチナ人の小説家アーティフ・アブー・サイフは、『ガザ日記 ジェノサイドの記録』(中野真紀子訳)の中で、10月7日以降のガザで直面したジェノサイドの恐怖を、克明に書き記している。
現場に到着して、目にした光景にぞっとした──すべて無くなっている。通りの全体が、両側ともぺしゃんこになっている。スーパーマーケット、両替所、ファラフェルの売店、果物屋台、香水パーラ、菓子屋、おもちゃ屋……すべてが消失した。(…)焼け跡を歩くと心が打ちのめされる。そこらじゅう血の海だ。うっかり足を踏み入れないよう注意しなければならない。子どものおもちゃの破片、スーパーの缶詰、つぶれた果物、壊れた自転車、粉々になった香水の瓶。粉塵と煙の中で、私は咳き込み始めた。もう我慢の限界だ。(10月9日/月曜日) (★6)
空爆のたびに、瓦礫や残骸、砲弾片とともに記憶が飛び散り、歴史が消されていく。救急車のサイレンが鳴り響くたびに、誰かの希望が消えていく。(10月13日/金曜日)(★7)
パレスチナ人の生命、生活、歴史、文化、尊厳、その全てがイスラエルの組織的な蛮行によって容赦なく破壊されている。『セザンヌによろしく!』の最後に一瞬だけ登場するパレスチナ国旗/旗は、長期にわたるイスラエルの占領と抑圧に対する強かな抗議と、パレスチナの解放を求める連帯の表明としてまずは受け取ることができるだろう。
だが同時に、パレスチナ国旗/旗がドラマティックな象徴として持ち込まれるとき、上演の時間が紡いでいた意味や効果の複雑な編み込みは、そして、ナクバから終わりなく続くパレスチナ危機の複雑な歴史は、戦後民主主義的な「反戦平和」の通俗的なメッセージに還元されてしまう、のではないか。

7、私とパレスチナの縫い目
アーティストのたくみちゃんが観劇後にXで投稿したポストが印象に残っている。
「セザンヌによろしく!」バストリオのラストシーンには、賛否両論あると思うのですが、僕は否定派です。パレスチナの旗をオーラスで「バーン!」と出すことによって、「ネタバレ」的な意味がついてまわると思ったからです。その瞬間までは、隠蔽されているとも考えられる。(…)
確かにあの地点から振り返ってみれば、上演が私に織り込んでいた諸要素は、「パレスチナ国旗/旗」との関係から読み直すことが可能だ。「乳と蜜が流れる土地」と題されたセクションは、パレスチナ(乳と蜜が流れる土地)でのイスラエル国家建設を、神に約束された土地への帰還として正当化するシオニズム言説をあからさまに思い起こさせる。
「わたしは、いき、もの、だった」
「すべて、つながって、いた/いまは、つながっていない」
と、「見ざる、言わざる、聞かざる」の身振りとともに遂行される発語は「もう生き物ではなくなったもの」の連想を、「乳と蜜が流れる土地」がイメージさせる自然のユートピアと、パレスチナへの植民を正当化する排外主義的なシオニズムのナラティブに結びつける。「ユートピア/ディストピア」という矛盾の摩擦を引き起こしながら「パレスチナ」をめぐる想像力は、首尾一貫した理解を拒絶する違和として「私」に縫い込まれていくのである。
しばしの「沈黙」──実際に訪れる無音の時間──は「応答なし」と「黙祷」と「無関心」が撚り合わせる混乱した情動のラインへと錬成して伸びていき、それがあの「甲高く伸びるひとすじの金属音と波長を合わせる一本の線」、弱々しい心電図の波形が予感させる臨終の間際にさらに「私」を織り上げる。その線の運動は私自身を「肉片」として映し出す特異的な瞬間につながり、さかのぼって「私は野蛮な生き物だった」という言葉が織り込んでいた、動物を「狩る」側と、動物として「狩られる」側の両方に入り込む感覚を編み直す。あのとき、あの声が「まだおるか」と呼びかけた相手は、あらゆる仕方で私たちが虐殺し、屠殺し、駆除し、駆逐し、殲滅してきた無数の生命だった。私は動物の肉片であり、あらゆる動物を肉片にしてきた人間だった。同時に、ここまで積み重なってきた不穏さが指し示す死の痕跡は、
「今日のパレスチナの天気は。シリアの天気は。ウクライナの天気は。アフガニスタンの天気は。ミャンマーの天気は。今日のせんがわの天気は。」
と、「挙手」のように手をあげて発話されるこの瞬間に、明示的に「パレスチナ」の語と結びつくことになる。だからこそ、私のうちに絡んでいた人間-動物の結び目は、「We are fighting human animals」と発言したあのイスラエル国防大臣の言葉に結びつくのである。「我々は人間-動物と戦っている」という発言は、ガザの民衆を非人間的な動物に貶めることで、イスラエルが持つ支配的な人間の地位を確認する政治的パフォーマンスである。「人間」は動物を管理し、調教し、実験し、服従させる「権利」を持つ。西洋世界の植民地主義を支え続ける、あまりにもおなじみの、しかし強固に反復される文明と野蛮のレトリック。私のうちで模倣的に共鳴された「肉片」は、「挙手」をする政治的な諸権利を剥奪された非人間的な動物として、イスラエルによる空爆で弾け飛んだ「肉片」の感触を──あくまでも私のうちに結ばれる想像として──縫い付ける。
そのうえで、歴史的な紛争地域の名は、「肉片」から喚起される私の身体に蓄積された戦争や暴力、苦しみの感触を新たに縫い上げながら、「せんがわ」という語を二重に響かせる。ひとつは「山の向こうからミサイルや核爆弾」が飛んでくる紛争地としての「せんがわ」。もうひとつは、文化のある暮らしをマイペースに楽しめる知的で洗練された中産階級的日常──ていねいな暮らし──が息づくまちとしての「せんがわ」。
バストリオにおけるポストシアトリカルな絡み合いの実践は、通常であれば背景に退いているまちや劇場の無意識を、身体を織り上げるラインのひとつとして作動させる。肉片の情動と結ばれた、Xで流れてくる焼け焦げた子どもの死体、子どもを抱きかかえて泣き叫ぶ男や女、散らばった肉片を集める子どもたちのイメージが「せんがわ」の語に縫い合わさることで、文化と生活が調和したていねいな暮らしが息づくこのまちにいる耐えがたさを湧き上がらせる。しかし、私はいったい何が耐えがたいのだろうか?
「パレスチナ」と「せんがわ」が互いに縫い合わされ編み直される網細工の織地は、平穏と争乱、平和と戦争、生活と芸術(セザンヌ)、人間と動物、生きることと死ぬこと、物体と死体の二項対立に混乱をもたらしていく力線に絡め取られながら、私に縫い合わされる特異的な傷=縫い痕を言葉にならない違和として刻みつけるのだ。
こうしたメッシュワークのプロセスが、パレスチナ国旗/旗の「ネタバレ」によって実は全て反戦平和の道徳的なメッセージでした、となるだろうか? たくみちゃんの投稿に見られるひとつの事実誤認はここで修正しておかなければならない。というのも、パレスチナ国旗/旗は、舞台空間の床面にそれとわかる配色で存在していたからである。それは人物として認知される行為主体に注意を向けなければならないという舞台鑑賞における観客の慣習のなかで不可視化されていた。
二項対立の差異によって安定していたさまざまな記号・存在が、常に矛盾した複数の力戦との関係で縫い直されるように、ここでも提示されたイメージを、自動的にステレオタイプな意味(反戦平和)に還元してしまう視線は、政治と芸術の二項対立的な枠組みで紡がれる効果=結び目に過ぎない。それはパレスチナ国旗/旗が見えていながらなかったことにする排除の視線との新たな結び目で、誰がどのような視線のもとでパレスチナに意味を与えているのかという問いとともに、視線のコードを編み直しているのである。
それならば、パレスチナ国旗/旗の配色に気づいていなければ? そもそも描かれた線のうちに「肉片」を見出していなければ? このような記述は成り立たないではないか、という反応はしごく当然のように返ってくるだろう。解釈は自由なのだから何とでも言えるだろう? と。だが、バストリオが仕掛ける「網細工の罠」は、何とでも言える(それあなたの感想ですよね?)自由な解釈を読み込むような個人ではいられなくするための仕掛けであると私は主張したい。
結び目が硬く結ばれているほどパレスチナの表象は完成された表面になる。しかし、それを織り上げている織地(テクスチャー)は無数の経路を通じて私という織地にすでに編み込まれている。バストリオのメッシュワークが実践するのは、パレスチナ国旗/旗をどのような仕方で解釈するか、それがどのような観客の自覚を促すかということではなく、私たちの営みに沿ってすでに編まれているパレスチナとの特異な結びつけられ方を学び直すこと、なのではないか。「学ぶ」という言い方が啓蒙的に聞こえるのであれば、「遊ぶ」と言い換えてもかまわない。その学び/遊びを通じて、観客にも気づかれないまま偶発的に引き起こされる、特異的な共鳴のかたちを誘発すること。散歩する小道をいつのまにか興味深い路地裏に変える「網細工の罠」を仕掛けること。
ポストシアトリカルな〈生〉を生きる私たちは、劇場や作品の象徴的なフレームを立てることでどこまでも連なる断片化された行為と応答の連鎖を断ち切ることがもはやできない。Xで流れてくる動画や画像に反応し、連帯のいいねをクリックし、140字の情報を寄せ集め、パレスチナのイメージを継ぎ接ぎしている私たちは、コミュニケーション、反応、情動の〈生〉を絡め取る無数の上演に巻き込まれている。過剰に断片化された情報群は、すべてが等価に意味を持たない記号として流通=循環し、演出されたステレオタイプな情動と反応を引き起こしては、即座に消費=忘却されてしまう。
だからこそ私たちは、つながってしまうあらゆる情報、記号、記憶、感覚、知覚、物質の絡み合いのうちで、その意味を理解できないまま、どうしても惹きつけられてしまう、いつのまにかそのこだわりを反復してしまう、特異な結び目としての縫い痕を、学び/遊び直す必要があるのではないか。バストリオが生活の中で自然に生まれる上演ではなく、意図的に構成された美的=感性的な上演の場を持つのも、同様の理由によるものだと私には思われる。彼/女らもまた、上演のたびごとに特異な結び目としての縫い痕を学び/遊び直しているのだ。
この記述そのものが、特異な結び目としての〈生〉の縫い痕を学び/遊び直すために書かれた。〈生〉に縫われた結び目を何度も縫い直すこのような──あまりにも不細工な編み物に見えるかもしれない──実践こそが、咀嚼しきれない異物としてのバストリオ/パレスチナとの関わりを編み直す踏み跡になり、それがやがて他者の異なる線へと枝分かれしていったとき、はじめてこの踏み跡も編まれ続ける網細工の一部になる。

【注釈】
★1) ここには二重の批判的な含意がある。第一に、「ポストドラマ演劇」が作品/出来事の芸術性を担保する劇場制度の枠内の革新であること。第二に、気候変動、ジェンダー、難民問題、少子高齢化などの社会的課題をめぐって自由に意見を表明し、公共的な合意形成を担う「市民的主体」を想定しがたい(自分で決めたルールに従う自治の感覚を持たない)日本の政治的土壌では、舞台芸術が市民的公共圏を媒介する民主主義のメディアとして機能することがそもそも期待されていない、ということ。ゆえに上演の美的経験を通じて観客=市民の見えざる共同責任を明らかにするとされるポストドラマ的な革新が、日本の劇場が置かれた歴史的・制度的位置づけのもとでは、観客自身が生きている社会や歴史の支配的言説/ステレオタイプを批判的に問い直す契機になりえない(誰もそんなことを期待して劇場に足を運ばない)。つまり、世界/社会とパブリックな市民=観客の関わりをつくりかえる対話的なコミュニケーションがそこでは起こらない、ということだ(演劇は内面で噛みしめるものであり他者との対話や抵抗の連帯を生み出す場ではない)。したがって、ポストドラマ演劇/パフォーマンスの美学は、劇場の公共性を前提にしない雑種的な諸パフォーマンスの特異な公共性を模索する理論的なツールとしてそのまま使うことは出来ない。
★2) リチャード・シェクナー「行動の復元」(江口正登訳、『西洋演劇アンソロジー』月曜社、2019年、pp.524-548)。
★3) ティム・インゴルド『ラインズ――線の文化史』(工藤晋訳、左右社、2014年)、p.133。
★4) 同上、p.161
★5) アーティフ・アブー・サイフ『ガザ日記 ジェノサイドの記録』(中野真紀子訳、地平社、2024年)Kindle版、第6章。
★6) 同上、第1章。
★7) 同上、第2章。
(2025.7.26公開)
渋革まろん(しぶかわ まろん)
演劇・パフォーマンスを中心に批評活動を展開。「チェルフィッチュ(ズ)の系譜学――新しい〈群れ〉について」で批評再生塾第三期最優秀賞を受賞。演劇系メディア演劇最強論-ingの〈先月の1本〉にてパフォーマンスとポスト劇場文化に関するレビューを連載(2022)。最近の論考に「〈ポスト欲望の人間〉とリテラルなものの露出」(2024)、「ポスト劇場文化の〈雰囲気〉と“参与の構造”を解析する」(2024)など。