―演劇コンク―ル全体に関する感想を教えていただきたいと思います。いかがでしたか?
第12回せんがわ劇場演劇コンクール受賞者インタビュー(1) グランプリ 階(缶々の階)~久野那美さん(作・演出)
久野那美(以下「久野」) むちゃくちゃ楽しかったです。コンク―ルっぽくない感じがすごく楽しかったです。
―そう思えたのはどうしてでしょうか?
久野 ゲネプロ(本番と同じ形で行うリハ―サル)で全団体を拝見しました。見ているうちに「ああ。ここは、競争したり演劇を創る能力をジャッジされたりするための場所ではないんだ」と感じました。
「評価されるべき演劇」という基準にむかって皆が競い合っているという感じが全くなくて。演劇をしたいそれぞれの理由がそれぞれの形で舞台の上にあって。
私も缶々の階の俳優も、東京での公演自体が初めてだったので「東京のコンク―ル」はもっと張り詰めた雰囲気だと思っていました。俳優は本番終わるまで緊張していたと思いますが、私は、演劇を始めてからいちばんというくらいリラックスして楽しく過ごしていました。
コンク―ルの様子は、各団体の方や観客の方がそれぞれの言葉でSNSなどから発信なさっていますが、せんがわ劇場さんがコンク―ルの主旨と理想を明確にされ、問題点を丁寧にすくい上げて解決を図ってこられた結果が形になったのだと思います。そう感じたのは、運営のあちこちに丁寧な工夫がされていて、たくさんの試行錯誤の跡が見えたからです。
ご自身が創作者でもある運営スタッフの皆様が、参加団体全てを、演劇作品を創る仲間としてリスペクトを持って受け入れて、フォローしてくださったこともとても大きいと思います。きっと素敵な作品を創られるクリエ―タ―なんだ、みなさんの作品を見てみたいと思いました。
―グランプリ受賞の感想を聞かせてください。
久野 東京で公演をしたくて演劇コンク―ルに応募したので、来年またせんがわ劇場で受賞公演ができることがとても嬉しいです。
コンク―ルの稽古をしている間に、みんな、この1回だけで終わらせたくない、受賞できなくてもツア―公演をしたいという気持ちになってしまったので、私はコンク―ルの後しばらく関東に滞在して来年公演できる場所を探す予定で、帰りの切符を用意せずに来ました。
グランプリ発表の瞬間、その問題が一気に解決したので、そのことがまずすごく嬉しくて、受賞あいさつの時に「来年受賞公演で【舞台編】と【客席編】を上演します!」と宣言してしまいました。後でメンバーから「あの場はああいうことを言う場じゃない。恥ずかしい……」と口々に言われました。そうですよね。空気を読めてなくて本当にすみませんでした。
―印象に残った講評の言葉はありましたか?
久野 三浦直之さんの「登場人物の二人が、幸せになってほしいと思って見ていました」という言葉と、徳永京子さんが「戯曲を読んだ時に、お客さんに伝わるのは難しいんじゃないかと思ったけれど杞憂だった」と言ってくださったのが嬉しかったです。
私の戯曲は(戯曲だけを)読んだ方から「観念的で演劇になじまない台詞」と言われたり、上演と戯曲の印象が全然違うと言われたりすることがよくあるので、今回、専門審査員や一般審査員の皆さんから「よくわかった」「分かりやすい作品だった」と言っていただいたことがとても嬉しかったです。私は観念的な台詞を書いているつもりは全くなくて、俳優はそれをわかって演じてくれていると思うので、そのことが確認できた気がしました。
―作品のこだわりを教えください。
久野 演劇は、世界そのものを作れる媒体のような気がしています。
私は一人の人間の生きざまを描くことにはあまり興味がなくて、個ではなく関係性を描きたいんです。だから登場人物は古代人でも宇宙人でも缶でも箱でもいいし、ひとりの俳優がひとつの人格を演じなくてもいいとも思っています。そして、そういう作品だからといって、抽象的な衣装や美術を使ったり、異世界的なスト―リ―や会話にする必要もないと思っています。
自分達が見慣れていると思っている言葉や衣装や小道具を使って、いろんな世界や関係性を描きたいんです。そのためかどうか、私は登場人物に名前をつけることができなくて…つけたことがありません。
また「誰かの日常」は必ず「誰かの非日常」ですから、世の中を「日常と非日常」「普通のものと特殊なもの」に分ける考え方とは無縁な作品を創りたいです。
「日常」と「非日常」は混在しているはずだし、それぞれの登場人物、それぞれの観客で見方が違う。何かの弾みで違うものが見えた時に、見えていたはずのものが見えなくなったりもする。「日常」と「非日常」の境界線は人によっても場合によっても変わっていくはずだと思いますし、世界をそういうものとして描きたいです。
―今後の活動の方向性は?
久野 ある人には認識もできないようなことが、別の人にとってはとても大切な問題であることは、実はよくあると思うんですけど、そういった、存在に対する絶対的な不均衡?みたいなことを、演劇はすごく鮮やかに超えていける気がしています。
私は、存在しないことになっているものを存在させるということをしたいんです。そのために演劇という手段はとても有効な気がするから演劇をやっています。これからもそうしていこうと思っています。
これは私の個人的な目的であって「良い演劇作品を創ること」とは関係ないのかもしれません。演劇はそういう目的のためにあるのではないのかもしれません。
でも、私は私の欲しいものが得られる作品を創りたいと思います。創作とはそんな自分本位のものではないのかもしれないですが、それでも。
それがたまたま他の人の評価や必要に適うことがあるなら、とても幸せなことだと思います。
―受賞公演に向けての意気込みを教えてください。
久野 グランプリ受賞作は【舞台編】だけだったのですが、もともとこの作品は【舞台編】と【客席編】があるので、受賞公演ではその両方を上演します。
それぞれ独立した物語ですが、どちらも劇の登場人物の話です。【舞台編】は、舞台上が舞台でしたが、【客席編】は客席が舞台になります。
演劇は誰のためにあるのか?という議論がありますよね。作家のためなのか?観客のためなのか?私は「登場人物」のためだと思っています。
誰にも知られないまま葬られる「劇の登場人物」はいません。絶対に最低ふたり、その役を演じる俳優と観客が知っている。「登場人物」とは、存在しないかもしれなかったものが、演劇によって、存在するチャンスを与えられた結果なのかも。
過去2回の上演では、その都度、劇場に合わせてカスタマイズしました。今回は「せんがわ劇場バ―ジョン」として、【客席編】は出演者の一人を公募し、【舞台編】も出演者を一人変更して、創り直します。
―調布市民のみなさんが劇場へ行きたくなるような呼びかけをお願いします。
久野 「インタ―ネットやテレビが家にあっても劇場に行く」というのは「家で神棚を拝んでもいいけど、初詣は神社に行くのが楽しい」みたいなことだと思います。素敵な劇場のある調布の皆様は、ぜひ、せんがわ劇場に劇を観に行ってほしいなと思います。来年5月の私たちの公演もぜひ観にいらしてください。
―ありがとうございました。
インタビュー・文 桒原秀一(第12回演劇コンクール運営チーム)