※掲載の文章は、第12回せんがわ劇場演劇コンクール表彰式の際の総評を採録・再構成したものです。
第12回せんがわ劇場演劇コンクール 総評
【せんがわ劇場演劇コンクール企画監修・審査 徳永京子】
皆さん本当におつかれさまでした。ご参加ありがとうございました。このコンクールの1回の上演のために、こんなに充実した作品をつくってくださったことに心から感謝します。また、先ほど(常務理事からの)ごあいさつもありましたが、満員の有観客で開催できたことを本当にうれしく思っています。今日ここに来られなかった関係者の方も多いと思いますけれども、そうした方も含め、皆さまのご尽力のおかげです。改めてお礼申し上げます。
各作品の講評に移る前に、今年の総評と、5団体に共通して感じた傾向を簡単にお話しさせてください。
今年は、私がこのコンクールに携わるようになって、一番審査が大変だったかもしれません。それぞれの作品のレベルが高いと同時に、個性の方向性がまったく異なっていたからですが、やはり共通点もありました。
今回のファイナリストの中には、普段、野外や自宅などで作品を発表していて、劇場で上演したことがないという団体さんが複数ありました。そういった方たちが今回初めて劇場で公演をする、一体どうなるんだろうと思っていたんですけれども、まったく杞憂で、良い意味で予想を裏切られました。劇場を使った経験のある団体さんも含めて、劇場という空間を、決まりきった先入観を取り払って、自由に、あるいは改めて捉え直し、そのポテンシャルを引き出していただいたように思います。主催者側のひとりとしても、演劇を長く観てきた者としても、これはとても嬉しい発見でした。
また、ファイナリストを選考する際には(過去作品の)映像で過去作品を拝見するんですが、それと実際の上演作品が全然違う団体も複数ありました。応募作品はおしゃれだったのに上演は素朴な作風だった、みたいな。それもクオリティは下がらずで、つまり、表現方法ややりたいことを幅広く持っていて、それが実現できる方たちなのだなと思いました。
そして、これは非常に大きな変化だと思いますが、この4、5年続いていたモノローグ主体の作品が減り、ダイアローグの比率がかなり高い作品が増えたことも、今回の特徴だったと思います。
これらの共通点や変化の背景に何があるのか、コンクール終了直後の短い時間のなかでは、まだ私なりの理由をまとめられていませんが、やはりこの2年のコロナ禍で、演劇をはじめとする文化芸術がどういう扱いを受け、そこにつくり手の皆さんのどういうストレスがあったか、そこから何を求めるかということが、強く根ざしているように思います。以上を総評とさせていただきます。