※掲載の文章は、第12回せんがわ劇場演劇コンクール表彰式の際の講評を採録・再構成したものです。
階(缶々の階) 『だから君はここにいるのか』【舞台編】 講評
【三浦直之】
おつかれさまでした。階は、役と俳優のラブストーリーを観ているようだなと思いました。観ながら「どうかこの2人に幸せになってほしい」という気持ちを持ちながら観ました。
選択されるアイテムや動線はとにかくシンプルでしたが、最大限の効果を発揮していると思いました。冒頭に俳優が登場し、缶コーヒーを持ってくる。そのあと電話(の指示)で缶コーヒーを追加で買ってくる。そこだけで俳優のバックボーンが見えてきました。この座組の中で、どういった位置にいるのかというのが透けて見えて、描くことと描かないことのバランスがとても上手いなと感じました。
あと缶コーヒーの中に1つだけ混じっている金色の缶、それが最後に結びついてくる。黄色のパンツを履いてる人(ヒーロー)が最後に金色の缶コーヒーを持つ。そうした衣装や小道具の色味のチョイスが、シンプルだけどすごく効果的だと思いました。おつかれさまでした。
【徳永京子】
階さん、おつかれさまでした。素晴らしい作品をありがとうございました。戯曲を事前に読んだ時、実は「この話、お客さんに伝わるのだろうか」と少し心配でした。文字で追っていくと、理が勝(まさ)っていると言いますか、肝心なところは暗黙の了解で進んでいって説明されず、抽象度が非常に高い。構成が巧みだけれども、内容が演劇を知っている人、さらに言えば、演じる側として演劇を経験したことがある人を前提にして書かれたような戯曲に感じられたからです。
ふたりの会話劇なのでガス抜きになる人も出てこない、どうやって観客の集中力をキープさせるのかと考え込みました。けれども完全に私の間違いでした。客席の集中力から、七井(悠)さんと三田村(啓示)さんのポソポソと進んでいく会話で、久野さんが創り上げようとしている世界がみるみる立ち上がっていくのが分かりました。
演劇が大前提としていることを淡々と紐解いていき、そこから顔を出した小さくて大事なものを、演劇の外側に遠慮がちに、でも確かにつなげていく上演が美しかったです。まるで、ほころびがたくさんの結び目になっていくような。
言葉で追おうとすると複雑になりがちな世界観を、言葉で追うことを諦めず、でも演出としても、破れたビニール傘と缶コーヒーという少ない小道具で非常に上手く表現されていました。いつの間にかできていた缶コーヒーの列が、世界をあちらとこちらに分け、役者さんがその線を跨ぐことで行き来し、またひとつになることが伝わってくるなど、細部までぬかりなく、よく練り上げられた作品でした。
それと、「缶々の階」は缶コーヒーの缶だと思うのですが、もしかしたら侃々諤々(かんかんがくがく)という意味もあったのかな?(階のリアクション)あ、ない?(会場笑)すみません、外しました(笑)。
【高田聖子】
おつかれさまでした。本当に素晴らしかったです。いち俳優として、登場人物に出会えるという夢のような物語を見せていただきました。常々、役を演じる時に「この登場人物ってどんな人だろう」「この人だったらどういうふうに、この台詞を言うのかな」「どういう心持なのかな」、教えてほしい!と思います。ここにいる演劇をなさっている皆さんと共通の感覚だと思いますが、それを疑似体験できてとても幸せでした。
最後に立っていた缶コーヒーが残った人々で、倒れたものを持った神のような人が去っていく、というところがとても痺れました。本当に上手ですね。イヤになるほど。とても感動いたしました。ありがとうございました。
【長田佳代子】
おつかれさまでした。高校生の時に私は演劇部で、慣れない舞台監督をやらされており、一番早く講堂を開けないといけない中、カギを開けた瞬間、誰もおらず真っ暗なはずなのに、キーンと耳が痛くなるような音がする。誰もいないはずなのに誰かいる、その、演劇に憑(と)りつかれてしまった時のことを思い出しました。
演劇でしかできない美しさ、きちんと下ごしらえもされ、昨晩から下茹でされたおかずと、ふっくら炊いたご飯の、シンプルだけど美味しいお弁当みたいな、充実して元気になって帰っていけるなと思うようなお芝居でした。
最後に後ろのドアが開いてパッと空気が変わったときも、本当に集中してお芝居を観させていただいたが故に、「あ、この人たちともう別れなきゃいけないんだ」と思って幕が閉まってゆく。もうちょっと見たい。愛おしい登場人物とそれをできなかった役者さんという唯一無二の世界を見せていただけたなと思いました。本当お腹いっぱいでご馳走様という感じです。ありがとうございました。
【松井 周】
おつかれさまでした。皆さんが仰っていたことがすべてで、僕もその部分では何も言うことがないくらいに引き込まれましたし、その世界に連れていっていただいたと感じています。
さらに戯曲の中の「タイトルがついた世界に参加している人、参加していない人」という括り方のように、見て見ぬふりされてしまっている人であったり、社会の中で見ないようにされている人というものに対しても想像力が広がるような戯曲でした。そのレイヤーの幅にも唸らされましたし、「最終的にあの登場人物は誰なんだ」というところの答えをきちんと出すという、劇作家が自分で枷を作ってそこに答えを出すような書き方、そこから逃げないで書き終える(書き切る)ということのすごさを見ましたし、芝居として成り立たせるすごさも見ることができました。 演劇というものの神や霊、精に思いを馳せる時間なのかもしれないと思うことができて、本当に幸せな時間でした。ありがとうございました。
撮影:青二才晃(ちょうふアートサポーターズ)