※掲載の文章は、第13回せんがわ劇場演劇コンクール表彰式の際の講評を採録・再構成したものです。
TeXi’s(ティッシュ)『夢のナカのもくもく』講評
【徳永京子】
まず、私が良いと思った点からお伝えさせていただきます。
TeXi’sさんは、劇場という施設の使用経験があまりないと思うんですけれど、ここせんがわ劇場全体の空間を積極的につかんで、ストーリーの必然性とは別のところで動かそうとしている意欲を感じました。それはすごく頼もしい欲求と言うか、果敢な挑戦で心を打たれました。舞台と違う場所を使ったことだけでなく、例えば枕を思い切り投げる、羽を散らす、それを掃除するといった、物語から派生した動作ではあるんですが、それ以上に、この生(なま)の空気をどうやってかき回して、目に見えないものを立ち上げていくかということを、おそらく狙って仕掛けていて、それがこの作品のベースのひとつなのだろうと感じました。同じ意味で、楽屋を映像で繋げるアイデアも面白かったです。
ただお客さんにとっては、やはり多くの場合、ストーリーが理解のよすがになっていきます。そこを補うものがあったか、何かが機能していたかというと、ちょっとまだ及ばずなところがありました。
それは戯曲の構造でも感じて、意欲的な狙いはわかる、でもそれが観ている人への理解に届くかというと、もう少し工夫がほしかった。『春琴抄』がベースになっているのはセリフの端々でわかったんですけれども、『春琴抄』を解体して男女でなく女性同士とし、しかも三人姉妹にアレンジした。そこに絶対理由はあるはずで、それは何だろうと観ながら考えたんですが、残念ながら皆さんが込めた必然性が私にはわかりませんでした。
【井手茂太】
お疲れ様でした。私は内容というよりは絵的なものをずっと見させてもらいました。
ずっと(舞台の)前面で走ってましたよね。それも効果的だとは思うんですけど、後ろでも良かったんじゃないかなとちょっと思ったりしました。意味合いがちょっと変わるかもしれないんですけど、もう少し舞台奥、正直(この劇場は)奥行きはないけれど、少し奥行き感があるような雰囲気を匂わせてもいいのかなと思いました。
あと私は、個人的にはモニターを使ったお芝居があまり好きじゃないんです。だったら、アナログ的にフレームを作って、撮影してるスタジオっぽいものを下手(しもて)に作るとか、アナログチックな方法も良かったのではないかなと思いました。もしくは今回のように、楽屋を撮影場所にするのであれば、いっそテレビ番組のスタジオのように後ろの壁をカラフルに飾ったりしてもいいのかなとも思いました。
【大石将弘】
2次審査映像を拝見した時、少し画面が暗かったこともあって、何が起きてるかすべてはわからなかったんですけど、空間の使い方とか情報量の多さ、密度がすごく濃い感じがして、ぜひせんがわ劇場で上演されるのを見てみたいと思って、楽しみにしていました。
とにかくやりたいこと、やってみたいことがたくさん溢れているんだなという印象で、それはとても素晴らしいことだなと思いました。パンフレットにも『「境界線」「矮小化」「認知のゆがみについて」「見るとは何か」「当事者性」をテーマとした作品』と書いてあって、本当にいろんな切り口というか、テーマを扱おうという姿勢を感じました。一方で、何が一番やりたくて、何を大事にしてこれを作っているんだろうと考えながら見ていました。
配信のシーンで応援してくれるじゃないですか。最後も「頑張れ」で幕を閉じるので、誰かを応援するとか推しとか、あとその人のために頑張れる頑張れないみたいな話がキーなのかなと思って見ていました。ですが、もう少し、言葉が届いてきてほしい、お客さんとして心を動かされたいという気持ちになりました。
何でだろうと考えてたんですけど、一つは、あの目隠しが結構大きいんじゃないかなと思いました。俳優さんは客席が見えてるんでしょうか?見えてますよね。でもやはりお客さんからは、俳優さんがどういう目線を送っているのか、どう眼差しているかがわからなくて、観客と俳優がうまく繋がれないまま最後まで行ってしまったような感覚があって、すごく勿体ないなと思いました。
目隠し自体は、演出的な効果としていろいろ狙いがあるんだと思うんですが、それによって俳優のコミュニケーション的なものが何か失われてしまったのかもしれないと思いました。
【瀬戸山美咲】
TeXi’sさんの『夢のナカのもくもく』は音の風景がすごく素敵だなと思って観始めました。あと光の使い方が面白くて、ランプのようなものをやペンライトやサイリウム、光るものの使い方がとても面白かったです。
あとは、今、大石さんがおっしゃっていた目隠しの部分。『春琴抄』ということで、この人たちは自分が見えないのか、それとも誰かに合わせて見えないようにしているのかとか、いろいろな意味合いは受け取れたんですけども、俳優の目の付近がちゃんと見えないと、客席との関係をちょっと結びづらいんだなということを感じました。特に客席に向かって喋ってる時、普段、人はかなり目で語ってるんだということに改めて気づきました。
また、身体性もいろいろ取り入れて面白いなと思ったし、オタ芸もすごく綺麗だったんですけど、オタ芸ってある種、ああいう形としてもう認知され完成されていて、すごくうまくやっても「上手い」「綺麗」に納まってしまう。それよりも、別のシーンで相手の手を取った瞬間の方がドラマチックに感じました。応援にしても、オリジナリティのある動き、何かそういうことを考える可能性もありそうだなと思いました。
あとは全体の構成として、本当にいろいろなテーマを盛り込もうとされていて、最初の方は、これはどこに行く話なんだろうとか、何が軸なんだろうということが見えなかったんですが、途中で「推し」という言葉が出てきた時、そこまでの話もクリアに見えてきました。もしかしたらその辺の、ワードを出すタイミングとか構成にこだわると、もう少しテーマが伝わりやすくなるかなと思いました。
【永滝陽子】
TeXi’sさんお疲れ様でした。違っていたら申し訳ないのですが、私が主題と感じたことは「強い」とか「強いと呼ばれる」ような人の孤独。一方でそのような「強い人」というものに憧れる人もいて、それぞれに苦悩があるということ。そういうことってあるよなあと思いながら、最後に進むほどに、すごく迫るものを感じながら観劇しました。
事前に台本を読ませていただきましたが、読んだだけでは、想像もつかない、照明、音響、散りばめられた小道具とその使い方、俳優の目隠し、マイク、モニターという、実に様々な演出上の選択肢があり、かつそれが掛け合わされていて、とても挑戦的だなと思いました。
演劇は総合芸術というか、いろいろな要素が相まってできるものだと思うので、この作品はその点ですごく演劇的だということ、そしてとても固有のセンスを感じながら拝見していました。面白かったです。
強いて言えば、(この作品には)『春琴抄』のエッセンスが入っていて実際にセリフにも影響がありましたが、私は事前に台本を読んでいたのでわかっていながら観劇しましたが、もし事前の情報がなくて作品を見たら、どう感じただろう、もしかしたら少しわかりづらい部分もあったのかもしれないなと。個人的には『春琴抄』のエッセンスなしに主題を表現するとどうなっただろう、という興味関心にもかられながら観ました。ありがとうございました。