※掲載の文章は、第13回せんがわ劇場演劇コンクール表彰式の際の講評を採録・再構成したものです。
【講評】佐々木すーじん [SASAKI Sujin] 『kq』


【古川 日出男】
佐々木さんが台本でなく「譜面」と呼んだものを読み、上演の仕方に注目していました。舞台上がX(クロス)で分けられたうちの片側にいらっしゃって、観客と、劇場と、本当の意味で向き合うことからする。今僕がこうやって舞台上に居ても、あそこまで向き合えないですよ。直に対峙するという形で、その強度はマックスだったと思います。それを演劇と呼ぶのか、パフォーマンスと呼ぶのか。佐々木さんを俳優と呼ぶのかパフォーマーと呼ぶのか。音楽家かもしれないですけれども。評価が非常に難しいところだと思いました。
佐々木さんがその譜面に忠実にされていることは素晴らしいと思う反面、佐々木さんの体からは「即興をしたい」という振動のようなものが立ち上がってきていた。それがうまくいくかいかないかの一点は、やはりスーパーボールだったというような気がします。スーパーポールを投げて、それで何か劇的なことが起こるか起こらないかよりも、戻ってくるスーパーボールがあるんですよ。それを佐々木さんが認識されたかどうか、認識したら、多分それに反応しながら動きたかったんじゃないかなと。それがある意味許されないのがコンクールという場や、「譜面」だった。佐々木さんが即興性と演劇性の狭間で引き裂かれていたように感じました。その亀裂が見えてしまった。それをどう評価するのかは難しく、もしかしたらこのコンクールは佐々木さんの持っている本質的な力をクリティクス(批評)するフィールドではなかったかもしれない。ただ、そこに直面してくれたという、その強さを思います。
【山本 貴愛】
私は今回、佐々木すーじんさんの台本のみ、先に台本を読まずに体験した方がいいなと思って、今日の公演を見させていただきました。舞台上で発せられる音を含めて、お客さんの静けさや衣擦れの音を、たまに目をつぶって聞いていたのですが、洞窟の中で音を聞いているような、何か新たな体験をさせられている気持ちになりました。
ただ、距離感や段差のあるこのような劇場で、佐々木すーじんさんが身体と息によってお客さんと対峙することでどういう反応が生まれるかという試みは、果たしてうまくいっていたのか。客席後ろの審査員席で見ていて、難しいと感じました。今後劇場上演される機会があったら、どう変化するのか期待をしています。
【徳永 京子】
30分間全く退屈しませんでした。コンクールの作品上演時間規定は30分以上40分未満以内なのですが、佐々木さんの上演時間は31分27秒で、自身の身体ひとつで時間をしっかり把握しているということに感嘆しましたし、それだけ場数を踏んでいらっしゃると感じました。そして(他団体の戯曲に当たる)「譜面」に書いてらっしゃることを忠実にしっかりとやってらっしゃると感じ、素晴らしいと思いました。
私は古川さんと違う面からスーパーボールについてお話しします。佐々木さんは自分ひとりの世界を集中してやってらっしゃるようで、意識を常にお客さんへ向け、開かれていたと思うんですね。お客さんが退屈そうな時間になると声を出し、表情も変えて、新しい呼吸法をして変化を繰り出していた。そういった効果を狙った線上に、「チンチロリン」という音とスーパーボールがあったと思います。チンチロリンはおそらく、茶碗に響く音の大小でお客さんの聴覚を刺激しようとしていたし、スーパーボールはお客さんの視覚を刺激しようとしたのだと思います。ただ、、チンチロリンの方はその効果が得られたのですが、スーパーボールはそこに至っていなかった。道具を変えるか、スーパーボールの大きさ・色・スピードなどを変える工夫をすることで、お客さんへ届くパフォーマンス・演技になり、今以上に開かれた作品ができていくのではないかと思います。
私は演劇を観るというのは、普段使われていない感覚や思考が開かれていくことだと考えています。佐々木さんのこの作品は、その時間を大胆に引き伸ばした。その点で、SPAC(静岡県舞台芸術センター)でクロード・レジがメーテルリンクの「室内」という作品を、ほとんど暗闇の中で演出した時のことを思い出しました。とても豊かな時間を過ごさせていただきました。
【小笠原 響】
別の会場で上演された「kq」の映像や企画内容をコンクールの二次審査で拝見したときに、演者の内側に意識が向かっていくだけで、広い空間の観客には作者の意図が届ききらない――自己完結で終わってしまいかねない作品になるのではないかと危惧した側面がありました。しかし、幕が開いて、佐々木さんが観客を見渡しながら、自身の呼吸に注力するだけではなく、呼吸を聞いている観客にそれがどう届いているのかと、劇場全体の空気感までも味わっているのが伝わってきました。
せんがわ劇場の観客と1:100で対峙されたときは恐怖すら感じたかもしれないと最初は想像しましたが、実際はしっかり観客と向き合って、観客と共にある劇場の空気を自分の中で味わっていたのではないでしょうか。上演の全てが終わって客席を見渡した佐々木さんの表情は、開演時同じように見渡したものとは違うと感じました。それを見せた上で舞台を去っていく姿自体が大きなドラマだったと思っています。
【竹中 香子】
二次審査であの映像を拝見させていただいたときに心をつかまれて、この作品を本選で見ることができたら「演劇ってなんだっけ?」と価値観が揺らぐようなことになると思いました。生で見られて本当によかったです。舞台上から遠くの客席にいたので、直接的な身体のエフェクトが少なく感じました。もしここ(舞台上)だったら、スーパーボールが来たときの振動や、言葉じゃないところで佐々木さんから醸し出されるパフォーマンスなど、佐々木さん自身が感じているものをもっと共有できたかもしれません。
興味深いのは、佐々木さんが劇場という空間で、演劇として作品を発表したというところです。私達は『譜面』を読ませていただいたんですけれども、本当に素晴らしくて、私はパフォーマーとしてぜひ取り組みたいと感じる劇作でした。なぜ演劇かということを考えたとき、作家が自分の書いたものを手放し当事者性を捨てて、他のパフォーマーが上演しても成立するような劇作だったからだと思います。今後「譜面」が他の人に手渡されたとき、どう進化していくのか。「kq」のような作品において、重視すべきは結果ではなくプロセスであるとも思いますので、今後どのように観客と創作過程を共有していくのかということにも非常に興味があります。
