※掲載の文章は、第14回せんがわ劇場演劇コンクール表彰式の際の講評を採録・再構成したものです。
【講評】ポケット企画『さるヒト、いるヒト、くる』


【山本 貴愛】
二次審査の書類の段階から今日の公演にかけて、北海道の劇団だということをとても強く打ち出されていていました。やはりまだまだ日本の演劇界は東京一点集中で、私もそのことをずっと疑問に思っているので、二次審査の段階から好感を持っていた点でした。
しかし、北海道ということが一つの道具にとどまっていると感じました。台本を読んだ段階であまりセリフが頭に入ってこず、観客が置いてけぼりになっているように思いました。演出や照明を工夫されていることは感じたので、そこをもう少し工夫されると、もっと良くなると思います。これからも、私達の知らない北海道の歴史のことなどを追究して進んでいってください。
【徳永 京子】
日本史の大きな枠組みでは忘れられがちな北海道の歴史を、きちんと演劇の中ですくい取ろうとしていて、戯曲を読んでいてとても好感を持ちました。説明しすぎている部分もありましたが、史実をドキュメンタリーのように細かく並べて伝えるのではなく、あえて年号のみをいくつか置いていき、全体の流れの中で北海道やアイヌにこのとき何があったのかということへ、観客の興味を引く、思考を刺激する構造がとても良いと思いました。思いのまま書いているのではなく、書きたいことに基づきその構成からしっかりと考えていると感じました。
ただ私は、しっかりした作品の内容からすると、舞台美術の風船やシャボン玉などは不釣り合いなファンシーさを感じてしまいました。ダークな美術やリアルな小道具を使えばばいいということではなく、むしろそこを外している意図はわかるのですが、最後まで内容とフィットせず、違和感が消えませんでした。なぜ登場人物がシャボン玉を吹くのか。その意味がしっかり伝わってくるよう、演出面をもう少し考えていただけたらと思います。
また、台詞の中で「勉強中」という言葉が何回か出てくるのですが、勉強中と言いながらもほとんどの登場人物が達観の域にいるように私には感じられ、それが気になりました。“わかった感じ”の人たちが「勉強中」と言っている矛盾と言いますか。これからの期待を込めて、お伝えしておきます。
【小笠原 響】
あまり知られていない北海道の歴史の暗部をしっかりと提示していました。そして、過去の歴史をテーマに据えながらも、「今」というワードがたくさん出てきましたよね。「今」へのこだわりを非常に強く感じました。
演出や俳優の演技はとてもパワフルで訴えかけるものが強かったです。観客や劇場空間とどう呼応していくのかという意味で、アウトプットのウェイトが大きかったと感じました。主張を展開することは大事ですが、それがあまり強く出すぎると、観客が受け手一方になってしまいます。逆に観客からもらう、インプットしていく部分をどのように出していけるのかを意識することで、観客の方が前のめりに考え、舞台上で展開される世界に引き込まれるのではないかと感じました。おそらくそれが、これからの課題となるのではないかと思います。
【竹中 香子】
自分たちだけが良いということではなく演劇業界・舞台芸術業界全体、かつ東京だけではなく日本全体の業界に言及があった企画書が印象的でした。私達が20代前半のときはそんなことを全然考えられていなかので、素晴らしい企画書から今後への意気込みを感じました。過去の歴史に対して私たちは直接の当事者ではありませんが、自分たちの住む地域で起きたことを、どう語り継ぐかまたは語り直すかというアプローチに対して好感を持ちました。
演技に関しては、俳優の皆さんが優等生といいますか、セリフが本当に大切に語られていると感じました。それは劇作家にとって嬉しいことだと思いますが、演出家・脚本家に対してたまには少し期待を裏切ってみることができると、より表現の幅が広がっていくのではないでしょうか。脚本をもらったときに俳優がその内容に何も疑いなく演じることができるということは、危険なことだと私は思います。ポケット企画の皆さんの関係性はとても良いものに見えたので、(もらったセリフが)「言えない」というところも含めてチームで考えられる土俵が既にあると感じています。今後の活躍も楽しみにしています。
【古川 日出男】
皆さん、北海道から飛行機とかでいらっしゃったと思います。北海道から東京までいらして、東京の調布市の仙川の劇場の中で上演するというのは、北海道をここで作るということ。しっかりと北海道は立ち上がったと感じました。本物の北海道が、フィクションを基盤に感じられました。
我々作り手は日頃、フィクションというフィールドで頑張っていますよね。フィクションをリアルに感じさせようと。上演作品は戦争という主題でしたが、戦争というのは我々がここ数年よく知っているように、物凄い音と光があって、いろいろな色が見えて、人が苦しめられている。それを伝えようと、物凄い音と光を出して上演したら、現実の物量と同じことを真似しただけで、フィクションとしては向かい合えないと思うんです。何か違うやり方で伝えた方がフィクションの側に立てたのではないかと思いました。フィクションを基盤に、目に見えないもの・聞こえないもの・嗅げないものを、でも嗅いじゃったよ見えちゃったよと言わせるために皆さんはこのステージに立ったのではないかと思います。
リアルな要素は全然出してないのに、見えました。そういうことです。また、企画書に書かれていた「リサーチで作る」というのがしっかり実現されていることも伝わってきました。お疲れ様でした。
