【劇評】7度『アサッテの人』 第15回せんがわ劇場演劇コンクール グランプリ受賞公演
アサッテへの誘惑、日常への回帰
第15回せんがわ劇場演劇コンクール グランプリ受賞公演
7度『アサッテの人』劇評
宮田文久
人は、聞き慣れない音や声を、半ば無意識的に求めるときがある。肩までつかった日常生活のなかで、ひらかれたままにとじてしまっている耳を、外に対していま一度ひらきたい、と心のどこかで願うときが。寄せては返す波の音に誘われて海に向かう人もいれば、深い樹々のあいだを歩き回り、耳にしたことがない鳥の鳴き声にハッと頭上を見上げる人もいるだろう。
2026年6月3日から7日にかけて、調布市せんがわ劇場で上演された7度『アサッテの人』(演出・伊藤全記、第15回せんがわ劇場演劇コンクールグランプリ受賞公演)は、そんな彼方から聞こえる音や声に満ちていた。なにせ、開演にあたる諸注意事項を7度の俳優・山口真由が客席へ伝えている最中から、場内のスピーカーを通して聞こえてきたのは、ほかでもない鳥のさえずりだったのだから。
本公演を通して観客たちが耳にしたのは、おびただしい数の、不明瞭な音や声だった。あるいはそうしたざわめきと連動した、もうひとりの出演者・飴屋法水と、そして山口、両者の震えるような身体も目にした。
面白いのは、外からやってくるものは、劇場という壁と扉で仕切られた空間のなかで現れるという逆説である。観客もまた外界から、劇場の暗闇の内側へと、わざわざ体を運ぶ。まるで都市のなかに埋め込まれた、夜の海や林へ向かうように。そこで心動かされた私たちはやがて、その聞き慣れぬ音が、はじめから劇場の外で、つまりは日々の暮らしのなかで、昼日中から響いていたことに気づくのだ。
原作『アサッテの人』は、2007年に発表された小説家・諏訪哲史のデビュー作にして、第50回群像新人文学賞・第137回芥川賞を同時受賞した長編である。不可解な言葉の数々を口にしながら、やがて失踪した若き叔父をめぐる小説──その名も『アサッテの人』と題された作品を、語り手の「私」は書こうとする。
小説内で示され、劇中でもそのまま説明されたように、「私」が書こうとする小説は、三つの材料から成る。「①私の幼年時からの、叔父に関する個人的な数々の記憶」「②私がこれまでさんざん書きためた、叔父をモデルにした小説の草稿の山」「③あの日、空き家となった叔父の部屋から引き取ってきた、大判ノートに三冊分の彼自身の日記」、これらが舞台上で語られる言葉を構成する。
主に「私」の言葉を山口が、叔父の言葉を飴屋が担ったのだが、実際どのようにそれらの声は劇場に響いたのか。筋書きも文言も、原作小説にほぼ忠実であった舞台だが(上演開始時の音響も、原作冒頭に「かすかな鳥のさえずり」と書かれていることに依っている)、そのうえでの大きな変更点のひとつは、山口が語る台詞における、関西弁/標準語のスイッチングだ。
たとえば、叔父が暮らしていた団地の一室を訪れる「私」の語りは関西弁で、叔父の奇行に戸惑うパートナーである「朋子さん」の語りは標準語で、というように舞台は進行する。ただ、関西弁/標準語のいずれが山口の“素”の言語なのか(あるいはそのどちらでもないのか)は、観客には明示されない。ひとりの人間が放つ複数の声が、そこにはある。
そうした語りのテクスチャーを切り裂くようにして、叔父の「ポンパッ」という声が、劇場いっぱいに響き渡る。マイクを通じて届けられる飴屋の声は、まるで冥界から吹いてくる隙間風のようだ。肺から送り出され、喉を通り、舌をかすめながら唇より吐き出される空気は、荘厳にして繊細、真っ直ぐでいながら震えていて、声は音なのだ、という当然の事実を改めて意識させられる。
叔父の口からこぼれ落ちていき、周囲の人物たちを困惑させていった言葉は、すべてこうした声=音だった。繰り返される「ポンパ」に加え、「チリパッハ」や「タポンテュー」といった不可思議な言葉の響きは、私たちの日常的な社会システムのなかに容易に溶け込むことがない。
飴屋が引きずってきたトランクの中から引き出され、舞台上にちりばめられつつ、次から次へと鳴らされるトランペットやカリンバなどの楽器、あるいはベルといった玩具やがらくたの類の音も、そうした意味をなさぬ声と共に増幅していく。宙に浮いては消えていく、声=音たち。
一方で、吃音のもち主であった叔父が幼い頃、スムーズに口にすることができたという数少ない声=音として例示される言葉もある。イエズス会による近世初期のカトリック教理本である「どちりなきりしたん!」や太陽系の惑星の並びを示す「水金地火木土天海冥」(すいきんちかもくどってんかいめい)のように、元は明快な意味があったとしても、ほぼ純粋な音の響きとして半ば意味から解放されたフレーズというものもまた、世には存在する。
声に出して、音にして、発したくなってしまう言葉たち。私たちはそれぞれに、小さい頃、気づけば口のなかで心地よく転がしたり、唇を弾けさせたりして、その感触をしばしもてあそぶような言葉のひとつやふたつ、もちあわせていたのではないだろうか(あるいは、いまでももっていないだろうか)。
「ポンパ」から「水金地火木土天海冥」までのあいだ、つまり意味不明だとして社会のシステムから退けられる音と、意味があるようでないような音のあいだには、実はゆるやかなグラデーションがあるのみなのだ。舞台上に譜面台が置かれるように、その声=音は、本当は人から人へと共有しうるのだと、舞台『アサッテの人』はほのめかす。
本作のクライマックスのひとつは、象徴的だ。叔父の吃音がなおったというくだりで、しかしそのときステージ上で表象されるのは、むしろ非常に歪んだように見える身体である。
正常に喋っているはずの、一人ひとりの身体が、実は歪んでいる? そう考えたときに思いが至るのは、この舞台が終わったあと、劇場の扉を抜けてほうぼうへ散らばっていく私たち一人ひとりがもつ、ひとつとして同じものはない、どこか癖や歪みをかかえている身体のことだ。観客たちが日々の暮らしに戻ったときに感じられるのは、まるで舞台上に傾けたまま置いてあった椅子やメトロノームのような、自分たちのかしいでいる身体である。
劇場という囲いの内部に身を置き、その囲いの隙間から外へ出る。劇場の暗闇で鳴り響いていた声=音が、私たちそれぞれの身体から漏れ出る声=音へと連なる。公共劇場がもつ機能のひとつは、このようにして人々の暮らしの最中に、ささやかな海や林を据えることだ。次の朝が訪れれば、知っていたはずなのに聞き届けられていなかった鳥の鳴き声が聞こえ、元からいたのに感知できていなかった隣人の姿が顕現するかもしれない。
振り返ってみれば、1985年生まれの本稿筆者はかつて、1996年に湘南台文化センター市民シアターで上演された太田省吾 作・演出の『更地』を見ている(初演は1992年)。出演は瀬川哲也と岸田今日子。日本を代表する劇作家が同センターの芸術監督を務め、そこで上演した名作だということは、親に連れられてわけもわからぬままに客席に座っていた10歳ほどの筆者には、とうてい理解できていなかった。
しかし、そのとき目にした舞台の広がり、筆者の身体のうちに植えられた苗は、何十年という時間をかけてたしかに育っている。地域劇場が紡ぐ公共性は、これぐらいのタイムスパンで、人と社会に影響を与えていく。
せんがわ劇場の客席で、「ポンパ」という言葉、あるいはそこに含まれる「p」という破裂音に魅かれ、誰にも聞こえぬように唇の先でそっと鳴らした人は、必ずやいるだろう。いつかどこか、劇場の外で、その声=音が口をついて出る日は訪れる。
(2026.7.26公開)
宮田文久
1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2009年、株式会社文藝春秋入社。飴屋法水氏や別役実氏などの取材、岩松了氏のコラム連載や短編小説を担当。2016年独立、以降インタビュアーとしてポン・ジュノ、細野晴臣、坂本龍一、タル・ベーラなど各氏に取材。2018年に友人と太田省吾『更地』リーディング上演のようなものに挑む。2022年、劇団黒テントの中心人物のひとりで、晶文社などで出版文化の一時代を築いた編集者・津野海太郎氏による文章のアンソロジー『編集の提案』(黒鳥社)を編纂。2025年、続編『編集の明暗』(同)刊行。現在、『群像』で不定期ルポ連載「「読む」をデザインするひと」執筆中。
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