
第16回せんがわ劇場演劇コンクール【講評】やしゃご



専門審査員講評
[専門審査員]
笠木 泉(劇作家・演出家・俳優)
佐藤 滋(俳優)
ひびの こづえ(コスチューム・アーティスト)
徳永 京子(演劇ジャーナリスト/演劇コンクール企画監修)
小笠原 響(演出家/せんがわ劇場芸術監督)

※掲載の文章は、第15回せんがわ劇場演劇コンクール表彰式の際の講評を採録・再構成したものです。
【徳永 京子】
のらりくらりとした、嘘だか本当だかわからないような大原さんのモノローグで始められて、まだ少し固かった客席の空気をあっという間に柔らかくしてくださったのは、本当にさすがだと思いました。
上演を拝見したときも、また戯曲を読んだときも、とても大きな問いを投げかけられている作品だと感じました。実在した山口良忠という人物――戦時中、終戦直後に配給米しか受けつけずに餓死した裁判官、『虎に翼』でも注目された人物――についてですが、その息子さんが『父を売る子』という本を書いていることは、今回初めて知りました。
なぜ伊藤さんがこの人物を題材に選んだのか、そのことを考えながら作品を拝見し、戯曲も読み返しましたが、つい先ほど、一つ腑に落ちたことがありました。山口良臣さんは、立派なお父さんを持ったがゆえに苦しみ、家族や社会との関係の中で葛藤を抱えながら生きた人です。そして人生の最後に、「会いたい人を呼んでいい」と言われ、お父さん、お母さん、そして愛人と再会する場面が描かれます。聖人として亡くなった父とその人生を支えた母が「誰でもトイレ」で性行為に及ぶという「俗っぽい」ことをする。父や母の年齢を超えて、生きている間は「俗の極み」だった主人公が、死んだあとに俗にまみれている両親を許す、という構図です。
いつの間にか両親(の年齢)を超えてしまった主人公にもまだ俗っぽい部分があって、愛人を呼んで謝る。主人公が死を受け入れるに際して、「ごめんなさい」という謝罪と、俗っぽさを捨てきれない部分を描くことで、親子二代の人生を描いていたのだと、私は理解しました。
即効性か遅効性かというと、遅効性の作品だと思います。
【小笠原 響】
まず感じたのは、劇場空間の使い方が非常に巧みだったということです。俳優の皆さんが、お客さんを含めた劇場空間全体をきちんと捉えながら演じていて、その距離感や空間感覚がとても的確でした。
また、舞台の使い方も印象的でした。袖から(登場人物である)「伊藤ちゃん」が手を出すところや、トイレという場所を実際には見せずに袖の奥に想像させる手法も面白かったです。テーブルの上で耳かきをする場面や、パントマイムなど、演劇だからこそ成立する表現が随所にあり、その楽しさを十分に味わうことができました。
事前にいただいた企画書面では、山口良忠という人物の生き方と、現代日本における「形を変えた戦争」を描くと記されていましたが、上演直後は十分に理解できず、翌日になって思い至りました。
現代は物質的には豊かになりました。しかし、その豊かさゆえに、どうしようもない虚無感や、生きる実感の希薄さを抱えている。劇中で女性が「どうせ消えるんでしょ」と語る場面がありますが、そのなげやりな言葉がとても印象に残りました。
敗戦を境にチョコレートに象徴されるような戦後アメリカ文化の流入によって「甘さ」が社会全体に広がっていったこと、現代人が抱える虚無感や刹那的な幸福感、現代社会の緩さや甘さが、戦前・戦中の社会と対照的に描くことで、漂ってくる作品でした。
【笠木 泉】
戯曲を読んだときに、まず「軽やかさ」を感じました。ユーモアや洒脱さがあって、とても読みやすかった。この軽やかさがそのまま舞台にも立ち上がってくるだろうと思いながら戯曲を読んでいました。こうした軽みというのは、台詞の長さや行数で生まれるものではなく、言葉の選び方やセンスから生まれるものだろうと思って。その言葉の感覚がとても面白いと思いました。
それから、劇中に登場する「伊藤ちゃん」という存在についてです。私は作・演出の伊藤さんを実は存じ上げなかったので、最初は本当にご本人が登場しているのかと思ってしまいました。終演後に(審査員の)佐藤滋さんに「伊藤さんって普段あんな感じなんですね」とお聞きしたら、「違います、本人じゃないですよ」と言われまして(笑)。それくらい、劇作家である伊藤さんと舞台上の人物、そして史実の人物との関係性が自然につながっていて、その存在の重なり方がとても成功していたと思います。
また、終盤で愛人と再会し、二人で語り合う場面がありました。とても印象的な場面でしたが、もっと後で見たかったという気持ちがあります。私自身も、「山口良臣さん」が実在の人物であり、とんでもない男だったということを戯曲を読んだ後に知りました。その驚きは、お客さんとも共有したかったと思います。舞台だけでは、十分に伝わっていなかったかもしれません。
ですから、この作品はぜひ次のバージョンも観てみたいです。この題材をさらに掘り下げて、山口良臣さんという、まだあまり知られていない人物について、ぜひ続きを、深みを描いていただきたいと思いました。
【佐藤 滋】
やしゃごの作品は以前からよく知っています。普段の公演では、本当に細部まで作り込まれます。たとえば、観客からは見えないような場所(例えば冷蔵庫の裏など)に十円玉が落ちている、といったところまで徹底して作り込む劇団です。
今回、コンクールという限られた条件の中で伊藤さんがどう演出するのだろうと思っていたら、徹底的に何もない空間で勝負してきた。「何もない空間」というのはどこなんだ、と思って見ていたら、途中で「どこでもない場所」なんだと気づきました。その発想が、とても正直だと思いました。「どこでもない場所」だからこそ、亡くなった人にも、会いたい人にも自由に会うことができる世界になっている。
山口良忠という人物が抱えていたもの、そしてその息子・良臣さんが背負ってきたものをお客さんと共有するには、もう少し時間が必要だと思いました。ですから、この題材、このキャストで、ぜひ120分くらいの作品として完成版を観てみたい。そうすれば、ラストで愛人とケーキを食べる美しい場面がさらに美しく見える作品になると思いました。
【ひびの こづえ】
実話をもとにしながらも、どこか遠い出来事のようでもあり、時代が交錯します。そこには作・演出家までが友人のように現れる。空間も、テーブルが畳の上になったり、見えないトイレの中で展開したりする。
戯曲を読んだときに、朝ドラ(『虎に翼』)で見聞きした人物の登場にあまり新鮮味を感じられずにいましたが、途中から、これは有名な父親を持つ息子の葛藤だけを描いた作品ではなく、誰もが特別であるようでいて、実はとても平凡な人生を生きている――そんな、ごく普通の人たちの物語なのだと感じました。また、やしゃごという劇団をまだ知らない人に向けたプロモーション作品のようにも思えました。まるで本編へ続く導入部のようで、「この先、本編はどう展開するのだろう」と思わせる作品でした。
俳優、演出家、衣装家という立場によって、作品の受け止め方がこれほど違うのだということも実感しました。それは、この作品が持っているメッセージが、観客に一度で届くというよりも、それぞれが考えながら受け止めていく種類の作品だからなのかもしれません。
一方で、愛人との再会や、夫婦が再会する場面には、少しほのぼのとさせられました。人生を終えたあとに、あのような再会があるとしたら、とても素敵なことだと思います。
