
第16回せんがわ劇場演劇コンクール【講評】東のボルゾイ




講評
[専門審査員]
笠木 泉(劇作家・演出家・俳優)
佐藤 滋(俳優)
ひびの こづえ(コスチューム・アーティスト)
徳永 京子(演劇ジャーナリスト/演劇コンクール企画監修)
小笠原 響(演出家/せんがわ劇場芸術監督)
※掲載の文章は、第16回せんがわ劇場演劇コンクール表彰式の際の講評を採録・再構成したものです。
【小笠原 響】
一人で演じ切った井坂さんの圧倒的な声量、時折見せる繊細なセリフ遣いや歌、そのパワーに圧倒された40分間でした。
声量の使い方で少し気になったのは、冒頭部分です。最初から非常に精力的に動いて、叫んでという表現が続いていましたが、冒頭部分の内容が後々効いてくるという意味では、もう少し内容をしっかり受け取りたかったという気持ちがありました。
後半、「いない姉を作り出した」と告白する場面に、作家として生きる苦悩、現代においては架空の批判者をつくらないと乗り切れない、樋口一葉のような書きっぷりができないんだ、という苦悩がよく伝わってきました。
また、半井(なからい)先生との恋が芽生える瞬間、一瞬の恋の描き方も、とても印象的でした。非常にドラマティックな演出で、紙が降り注いで雪景色になる場面は、情景が記憶に残る素敵な場面だったと思います。
【笠木 泉】
戯曲を拝見したときに、「圧倒的に面白い」と感じました。一人の女性がいて、その女性が憧れる作家がいる。その作家への思いを描いているようでいて、実は自分自身のことを描いている。そして、自分は「書く人間」でもある。私も作家である。そういうループのようなものが構造的にしっかりと描かれていて、たとえ難しい言葉が出てきても、読んでいて「波に乗れる」、こちらの気持ちがドライブしていくような、そんな力を持った戯曲だと思いました。
そして上演を拝見して、40分間、圧倒的でした。私も普段俳優をやっておりますが、「これを一人でやってください」と言われたら、間違いなくお断りします(笑)。俳優さんの、この空間を掌握して、観客を最後まで引っ張り続ける力と意志の強さみたいなものが、戯曲そのものの強さとも結びついていて、素晴らしかったなと思います。
事前に「ミュージカル作品」と伺っていましたので、「歌はいつ始まるのだろう」と思いながら観ていたら、後半になって物語と同化する形で歌が始まって、その流れがとても美しかったですし、歌そのものも素晴らしく、その直後にバトンがあがって、紙が降り注ぐ演出へつながる構成も印象的でした。
40分という時間を、楽しませていただきました。本当に素晴らしい舞台だったと思います。
【佐藤 滋】
戯曲を最初に読んだとき、とても興奮しました。読み終えたあと、もう一度表紙を見返したら「私小説」と書かれていて、「これはすごい覚悟だな」と思いました。島川さんが、ご自身を丸ごと作品にぶつけてきたのだと感じ、とても心を動かされました。
実際の上演では、戯曲が持つ力強さや真っ直ぐさを、さらに増長させるような強さがあって、終始興奮しながら観ていました。
小笠原さんもおっしゃっていましたが、最初は台詞のスピードが速く、動きも多かったため、少し言葉が聞き取りづらいところがありました。でも、羽織を脱いだあたりから声のトーンが落ち着き、作品の空気が変わって、「それも演出だったんだ」と気づいて、やられたと思いました。
もう一つ、マイクの是非についてです。「せんがわ劇場くらいの空間であればマイクは必要ない」という考え方もあると思いますが、東のボルゾイさんが、あえて「この空間でマイクを使う」という、いつもの自分たちのスタイルを貫く選択をされたことが、僕は個人的にはとてもうれしかったです。
【ひびの こづえ】
戯曲を読んだとき、物語にぐいぐい引き込まれ、大きな感動があって、すぐに樋口一葉について調べました。あまりの壮絶さに驚きました。ただ、舞台上ではまた別物の作品が立ち上がっているように思えました。「ミュージカル」という形式を選ばれていましたが、私は違う演出でもこの戯曲を観てみたいと思いました。そうすると平凡な作品になってしまうのでしょうか?
主人公である「私」は、最初から最後まで悲鳴のような調子で話し、その台詞は次第に反復するリズムのように聞こえ、途中、睡魔が襲ってきました。マイクのノイズが、その叫びをさらに増幅していたようにも感じます。ただ、これは私自身の体質かもしれません。大きな音が続くと、身体が拒絶反応を起こして眠くなってしまうことがあります。
もし作品のどこか一場面でもマイクを使わず、肉声だけで語る場面があったなら、「私」という人物にもっと感情移入できたのではないか、と感じました。マイクを使うことで、声が「言葉」ではなく「音」として届いてしまい、戯曲に書かれている言葉の機微を、私は十分に受け取ることができませんでした。もちろん、それも演出上の意図だったのかもしれませんが。
だからこそ、紙で作られた衣装や、降り注ぐ紙、美しく書かれた文字も、それらが持つ意味よりも、紙のもつガサガサするノイズのイメージから気持ちが離れないままに終わってしまいました。
【徳永 京子】
美術と衣裳の作り込みがとてもよかったです。舞台後方の紙の山は、主人公の一葉がこれまで書いてきた、世に出ることのなかった原稿の山のように見えましたし、また、十二単のような紙衣にも、一葉の貧しさや、書くことが身体化した主人公ですとか、女性にかかる圧――一般的なお仕着せという外圧もそうですし、一葉が背負った家とか経済的なことの重圧が込められているように感じました。
東のボルゾイは、戯曲も美術も衣裳も演出も、「今やれることは全部やる」という姿勢を一貫して持っている劇団だと思うのですが、今回もその個性が十分に発揮されていて、悔いのない作品づくりをされていたと感じました。作品全体で主人公のキャラクターを体現しているような、叫びながら生きている作品と感じられ、主人公の叫びが「呪文」のようにも感じられました。
右手だけを赤く染めているのもすごく鮮烈で、白い紙の世界の中で、血が出るまで書き続けるような執念や、「彼女の心臓は(筆を持つ)右手である」とでも言いたくなるようなイメージ、それが(仕事や家事や貧しさによってできる)霜焼けにつながっていくというのも、すごくよかったです。
一方で、私はもう少し全体の音量を抑えてもよかったのではないかとも感じました。マイクを使うこと自体はよいのですが、歌のウィスパーボイスのパートがとても美しかったので、そことのコントラストをさらに生かすためにも、歌の場面をもう少し長く取り、彼女の静の一面を音楽で表現していただけたら、より表情豊かな作品になったのではないかと思いました。

受賞者コメント 【劇作家賞】島川柊(東のボルゾイ)
劇作家賞、有難うございます。
有難うございますですが、表彰式の講評にて専門審査員から激しい拒絶の言葉を頂戴し、そっちの衝撃が大きくて賞どころではないというのが本音です。
東のボルゾイは旗揚げから六年、他の誰にも作れないミュージカルを目指して創作してきました。物語と音楽の倒錯度合い、歌う体の魅せ方、音色、音圧。その辺りの研究が稽古の多くを占めます。
あろうことか、ちょうどその音周りの色々が不快だった、という講評内容だったので、今すぐ泡吹いて倒れてやろうかと思いました。
しかしそういえば、まだ無いものを見出さむとする我々にとって、観客からの拒絶反応こそ、次への鉱脈なのです。
目の前のショックで忘れていましたが、そういやそうなのでした。すんなり受け入れられるものとは、つまり当たり障りの少ないものとも言えて、私が望む演劇はどうしてもそれではないです。
君の眉間に寄った皺、それが僕らの北極星。ということにして、前を向いてあげます。
何より、私たちの我儘を全て請け負って、誰よりも大きな我儘でもって舞台に燃え上がらせたくれた主演の井坂茜さん。
茜さんの情熱から貰った喜びと驚きを思い返せば、私の失意など瞬く間に意欲に変えられてしまいます。
ご観劇いただいた皆様、どうも有難うございました。
到底受賞コメントではない受賞コメントを読んでくださって、有難うございました。
乞うご期待。

