※掲載の文章は、第14回せんがわ劇場演劇コンクール表彰式の際の講評を採録・再構成したものです。
【講評】バストリオ『セザンヌによろしく!』


【竹中 香子】
今回、30分で(舞台美術などを)仕込むというレギュレーションがあるなかで、ホールに入ったとき、ディズニーランドがいきなり現れたんじゃないかと思うくらいの(舞台美術への)ダイナミックな感動がありました。せんがわ劇場のスタッフの方と、バストリオのテクニカルチームの皆さんの力量だと思います。
俳優に関して、私は今回の審査をするにあたって「なぜその言葉が発話されなければいけないのか」ということを中心に考えました。俳優は、脚本を渡されると(台詞を)言えちゃうんですよね。バストリオ出演俳優の演技には、「言えなかった身体が言えるようになった」ということが現れていて、高評価をしました。
あとは、それぞれの固有のリズムが舞台上で尊重されていました。俳優同士で共演者を活かし合うということは(全出場団体の)皆さんレベル高くなされていたんですけれども、バストリオに関しては、直接的に関与していなくても、お互いのリズムを尊重させつつ共存しているというレベルの高いことが起こっていたなと思います。その身体があるから、意味を考える前に、それぞれの台詞が観客の体に影響を及ぼしていたと思います。私たち審査員の席は客席の一番後ろだったんですけれども、言葉が迫ってきて、お見事でした。
【古川 日出男】
ホールに入った瞬間にもう…開演前から非常に強い空間が立ち上がっていて、それに感動したんですけど、途中で「やばいな」と気づきました。時計表示を消さないんですよね。消さないでやっているのはバストリオだけでしたよね。他にも「劇場」という主題の作品を上演した団体はありましたが、劇場という場で初めて作品を上演するというときに、観客がいる時間、このせんがわ劇場の時間、仙川町の時間、この地球の時間…という「そっち側」を全部ここに持ってきていたのがすごいなと思って。それはなかなかできないですよね。その強度がずっと続いている。唯一弱点だと僕が審査会で言ったのは、その強度がずっと続きすぎるんですよ。一瞬も揺るがない。それは大変なことだと思って、これはどうしたらいいんだ、何か引かないと、と考えたんですけど、審査会でいろいろなことを協議した結果「大丈夫、崩れているところは崩れていた」と思い直しました。(会場笑い)
脚本を読みましたが、文学として批評するならば、これは戯曲というよりもどちらかというと詩のテキストのままだと言えます。それを劇作としてどう評価するかというのは非常に難しい問題だけれど、今野(バストリオ演出家)さんの脚本は「俺はこう感じているからそれをみんなも感じて欲しい」という一貫した思いがストレートに出ている。それはいいなと感じたし、実際のステージで観たものはそれを遥かに超えていた。俳優さんたちも、「ここで何をやるべきか」ということを全員汲んでいましたね。中でも今野さんと松本(一哉)さんは「異物感」が際立っていました。最も違う形の異物性なのに劇を成り立たせてくれた松本さんにはぐっときます。
【山本 貴愛】
二次審査で映像を見た際に、空間のデザインが一番重要な劇団だと思っていたので、実際に舞台を見るのを楽しみにしていました。ホールへ入った瞬間から、舞台上の空間全てが余すことなく使われていて、劇場でやるのは初めてだということが信じられないぐらいに本当に強度のある空間で。私は美術の人間なので、それに本当にびっくりしました。
いざパフォーマンスが始まってからも、役者さんの体がとても生きていて、全ての空間を含めた演技・役者さんの体・聴覚・照明・空間デザイン・観客の反応の全部がキャッチボールし合っているかのような40分間でした。素晴らしい公演だったと思います。
【徳永 京子】
他の審査員の皆さんはビジュアルについて高評価されていましたが、私がまず撃ち抜かれたのは音響でした。松本さんが、地鎮を意味していたのかな、足で舞台を踏み鳴らした響きとか、水槽に物を落とした時の「ポチャッ」という音とか、マイクで拾っている音の広がり、深みがどれも素晴らしい。最初からすっかり耳が開かれました。演劇は台詞もビジュアルも音楽も大事ですけれど、音もまた重要で、作品の世界観をつくるし、そこに観客を連れていくガイドにもなる、それを見事に証明してくれました。この作品は野外で上演されたものの再創作ですが、外と同じ音を聴かせのではなく、マイクやスピーカーで劇場をいかに野蛮な空間にするか、ワイルドに使いこなすかという挑戦をしていらしたんじゃないかなと思ったのですが、その目標が見事に、せんがわ劇場が内側からワンワン吠えている感じになっていて、かっこよかったです。
古川さんが指摘された時計についてですが、私も時計がついていることに気がついて。思い出したのが、東京事変のライブで、「能動的三分間」という曲の時にステージ上にデジタル時計を置いて、3分間の逆カウントダウンで演奏をカウントゼロで止めるというのを観たことがあるんですけど、それと同じ感じで、制限時間ギリギリを攻めているんだろうとドキドキしながら見ていました。
音響の話に戻りますが、さまざまな音、楽器の音色、俳優さんの声がポリフォニックに立ち上がって、文字通りこちらに響くものがあった。たとえストーリーが理解しづらくても、オーディエンス賞を受賞したことで、それらが有効だということが証明されたと思います。
【小笠原 響】
とにかく圧巻の舞台でした。せんがわ劇場の劇場空間を余すところなく使い切ってくれたなと思います。その大胆さ、とても良かったです。
ポール・セザンヌの一生を扱った中で、人間が自然とどう向き合っていくのか、世界とどう向き合っていくのか。そういうところに自然と思いを馳せられた舞台でした。途切れなく1本の線をそれぞれの俳優が貫いていて。劇中の真ん中辺りの「今は繋がってない」という言葉にズシンときた。高い技術と訓練があってできあがった舞台だと思っています。どうぞこれからも、お客さんと真摯に向き合い、謙虚に誠実に、でも大胆に進んでいっていただけたらと思います。
