※掲載の文章は、第14回せんがわ劇場演劇コンクール表彰式の際の講評を採録・再構成したものです。
【講評】屋根裏ハイツ『未来が立ってる』


【小笠原 響】
小劇場でしか味わえない、せんがわ劇場のサイズにぴったりの作品だと感じました。俳優のセリフの発し方(声量)を敢えて聞こえるか聞こえないかギリギリのところで勝負していたところもよかったです。同棲を決意した恋人同士のやり取りも、新生活を始める上での期待と不安がにじみ出ていました。前半の静かな展開から一転して、後半2人が口論をする場面で声量をぐっと上げていく、そのコントラストの付け方が非常に良かったです。
舞台の使い方としては、物干し台の存在があまりにも大きいので、扱い方が難しいと感じました。平台でしつらえた居間からベランダへ降りたあと、直接寝室へ向かったところが不自然に感じてしまって。ただ、未来人の登場の仕方など、空間処理の仕方は注目していました。
「夕焼け小焼け」が30年後の未来でも流れているということで、2人が新しい生活を決断する話のまとめ方。40分でしっかりと内容を収めきったことが優れていると感じました。
【竹中 香子】
ホールへ入って最初は舞台美術だけが見えていて、中央に四角く配置された平台、そして物干し竿というのは想像を刺激されました。コントのような始まり方、私は好きだったのですが、冒頭で一度暗転になったことで暗転以前の流れがキャンセルされてしまったと感じ、そこは少し残念でした。
劇作に関して、話の文脈が変わる際、例えばCの登場人物が話しきると次の台詞にもCと台本に書かれているなど、同一人物の発言が連続する表記がありました。それに対してどのように応えるのか、私も俳優として期待していました。俳優が文章を立体化する時に影響を与える面白い書き方です。
俳優たちの演技にはこの空間でしか体験できないような親密な関係性が見えました。特に佐藤(駿・カップルの男性役)さんのひとつひとつの発話や所作が、ここまでかというほど状況に対して適切で、本当にあっぱれでした。(舞台上で置かれた)ある状況に対して、俳優が非常に適切な演技をすると、お客さん的には自然すぎて、上手すぎて上手いとも思われないこともありますので、言及しておきます。
【古川 日出男】
平台で組まれた四角い空間があって、そこは家のリビングだというルールが1つあり、想像すると、それは能舞台のルールというか、「能舞台マナー」だと思いました。能舞台だったら橋掛りから面をつけたシテが出てくる。それを無視して登ってきたら係員に止められてしまう。そのようなことを、honninmanさんが入ってきただけで、崩して作れる。つまり未来から入れるということは、あのルールひとつ、空間演出ひとつで作っている。その点がまず素晴らしいと思いました。
また、これは脚本の時点から明確に指示があるのですが、能面に等しいものは靴ですよね。脱いだ靴とスリッパがずっと舞台上に置いたままになっていて、出入りするときは履き替える。それがあるから、最後に「(5階なのに)ここ階段なんですか!」と言いながら歩くとき、観客は足に注目する。そうすると本当は無いのに階段が出現する。これは新しい夢幻能だと思いました。脚本の段階でもう非常に面白かったのですが、役者さんが良かったですね。こういう肉付けをするのか、と。例えば不動産屋の関(彩葉)さんは、水を飲むのが一発なのが良い。そういう何かによって心が掴まれる。前の列から徐々に審査員のいる後ろの方まで心が掴まれていく。掴まれる波が迫ってくるようで、とても良かったです。
脚本に関してだけ一点。平地になると分かっているのに、タイムトラベルしたのが5階という高いところだったのは何故か。文学賞の選考では、このようなことは一番指摘されます。その説明を足すとよいと思いました。セリフの応酬については、1クール回転させるだけでイケると思います。
【山本 貴愛】
5団体の台本の中では一番読みやすかったです。圧倒的に面白かったので、上演を楽しみにしていました。究極に全てを排除した素舞台に近いステージでも、台本の力が強かったので、40分とても楽しみました。空白を活かした演出をこれからもやっていただきたいなと思います。
また、その空白を生かしたまま、照明や美術で少しの変化を加えたり、もう少し長尺の作品になった場合に、どういう作品を作るのかを見てみたいです。
【徳永 京子】
多くの演劇作品は、登場人物の中の一部の人がある情報を知っていて他の人が知らない、それが共有されていく、あるいはその立場が逆転していくという構造で進んでいきます。それがこの作品では、未来の人にとっては過去、現在の人にとっては未来に起こる「災禍」について、登場人物全員が知らない。まずは、その設定が本当に面白かったです。しかもそれが少ないせりふで表現されている。戯曲が研ぎ澄まされていました。おそらく今回の参加団体の中で最も、(台詞の)一文が短いんですよね。短い言葉の応酬で、場面のイメージが鮮やかに届く。未来の通信機器について「iPhone、はもうなくて、今はもうi(アイ) ですね」とか、物干しの説明とか、文字情報ではわかりにくそうに思えるけれど、話すときちんと伝わってくる。「ああ……」とか短い台詞が流行りだからではなくスタイルとしてお持ちだということがわかります。
災禍のことを知らない4人の登場人物それぞれの、災禍との時間的・心理的な距離、そこにプラスアルファの「にじみ」を感じられました。素晴らしかったです。
ただ、オープニングの「屋根裏ハイツといいます。始めます」の挨拶は、必要だったでしょうか。どうしても、かつてのチェルフィッチュ※ を思い出してしまいますよね。それがなくても良かったのではないかと思いました。
